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映画『長いお別れ』公開記念 中野量太監督インタビュー “笑って、泣ける”中野ワールドに迫る!

映画『長いお別れ』公開記念
中野量太監督インタビュー
“笑って、泣ける”中野ワールドに迫る!
初の長編商業映画『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)が、日本アカデミー賞主要6部門を含む国内の映画賞計34部門を受賞した中野量太監督。5月31日(金)から公開となる最新作『長いお別れ』でも“笑って、泣ける”中野ワールドは全開です。
認知症によりゆっくり記憶を失っていく父(山﨑努さん)と、家族のお別れまでの7年間を描いた本作は、決して絶望との闘いではなく、思いもよらない出来事と発見に満ちた特別な日々。笑って泣いて、前に進んでいく家族たちの、新たな愛の感動作を作り上げた中野監督に、原作と向き合った日々を振り返っていただくとともに、映画作りのこだわりや豪華キャストの演出などたっぷりと語っていただきました。

映画『長いお別れ』中野量太監督
―――― 今回は、オリジナル脚本ではなく原作小説の映画化への挑戦となりました。これまでとの違いや苦労されたことを教えてください。 ※原作「長いお別れ」中島京子著
中野量太監督
最初から全て違ったのですが、原作ものは初めてだったので、脚本にする段階が全然違いました。
原作自体が短編集なので、それを一本の物語にするのがやっぱり大変でした。ある法則と言うか決まりを見つけてからは、僕らのやりたいことが明確になって脚本がドンドン進んだんです。それはつまり時代と世代を分けて考えたこと。今回病気が進む段階を四つに分けて、それが縦軸で、横軸が世代です。お父さんとお母さんの世代、娘たちの世代、孫の世代。お父さんが認知症になってからの7年間、三世代にもそれぞれ7年間同じだけ時間が流れるんですよ。その三世代がお父さんとどう関わっていくか。その横と縦の軸を決めてからは、はめ込む作業になったので脚本が一気に進み出したんです。
―――― 原作では短編毎に主人公が入れ替わりますよね。
中野量太監督
そうなんです。しかも原作は10年間なんですけど、時系列が明確になっているわけではありませんし短編毎なので、あのままだとどうしてもうまくいかないんです。
横と縦の軸を整理していく中で、例えば娘の世代は原作では3人だけど多すぎるから2人にして、孫も4人位いたけど1人にした方がうまく関わっていけるかな、とか。そうやって登場人物についても一緒に整理が出来たんです。
―――― 原作の“ここだけは残したい!”というシーンはあったのでしょうか?
中野量太監督
良いなと思った所は全部残しています!
また、なぜ中島先生の原作を僕が映画化することが出来たかについて言えば、僕がオリジナルで作っている映画も家族を描いていて、大抵ちょっと状況が苦しい中で家族が協力して右往左往している姿が愛おしかったり、滑稽だったり、そういう姿を描くのが得意なんですが、原作もまさにそうだったんです。お父さんが認知症になってしまって状況は厳しいけど、そんな中でも読んでいるとクスクスって笑っちゃったし(笑)。だからこそ、読み進めている内に“僕ならこう撮るかな”とか考えながら読めたんです。読み終えた時には、もうこれ出来るんじゃないかって、初めてそう思えた本でした。
―――― 原作で、昇平(山﨑努さん)が妻の曜子(松原智恵子さん)の肩を「まさぐる」と一行あります。映像で観ると、とても素敵なシーンだなと感じるとともに物凄く感動しました。読んでいるだけで想像しきれないものがあるのだと、とても感じるシーンでした。
中野量太監督
いいですよね。何ともエロスな感じ…。
あのシーンは僕も大好きで、原作よりも広げて撮っているんです。言葉は無いけど、何か通じ合っているエロさがあるじゃないですか。あそこで「お父さん、カーテン閉めてください」ってお母さん(曜子:松原智恵子さん)が言うんです。あれはアフレコ(撮影後に台詞だけ別途録音すること)なんですけど、あのシーンが好きで、もう一言どうしても足したくて…ちょっとエロスな感じを。
今回、お母さんは凄い可愛らしいキャラクターになっていて、あそこはまさに恋人に会いに行くみたいな感じじゃないですか、一生懸命に。(お母さんは網膜剥離の術後で)うつ伏せじゃないといけないから「お膝をお借りします」と言う所は、愛おしいなって思いながら脚本も書いていました。どういう画になるのかなって脚本を書いている時は思っていたけど、特に松原さんが少女のようにお父さんを愛している姿がその前のシーンから見えていたので、このシーンは絶対に面白くなるぞって思いながら撮っていたんです。やっぱり画としても良かったですよね。
―――― 小説にある文字を映像に変換することは難しい作業だと思うのですが、中野監督が心がけたことがあれば教えてください。
中野量太監督
まさに言われたように、文字では面白いけど映像にするのが中々難しいシーンというのがあって、一番僕が怖かったのは縁側のシーンです。
「ゆーっと」と「くりまる」(繋がらないって切ないねと泣き出してしまう芙美(ふみ)に「そうくりまるなよ。そういう時はゆーっとするんだ。」と答える昇平。)って、本で読めばよく分かるじゃないですか。意味の分からない言葉を発して、でも心は通じ合っている。だけどそれを映像にするのってすごく難しいと思ったんです。難しいと思ったし、一歩間違えれば全然面白くないシーンになるなって。
あそここそ映像に。映像の意味って結局そうなんですよ。想像できるものというか、言葉で説明でき過ぎちゃうことは面白くとも何ともなくて、言葉では表現出来ないところまで表現できるのが映像の強さだから。あのシーンはまさに文字よりも映像が成立すればとてつもなく面白くなるって分かっていたから。
本当は(原作では)電話なんですけど、ここはちゃんと二人で喋らせて成立させなきゃって思いながら。ただ、あそこを撮るのは怖かったです。それが、まあ見事に山﨑さんと蒼井さんの二人が、やるんですよ。すごい二人がやっちゃうんですよね。だから撮れた時は、やった!って思いました。怖かったからこそ。
―――― 原作でも非常に感動するシーンでやっぱり映像にするのは大変だったんですね。
中野量太監督
言い方一つでどうにでもなってしまうけど、そこは見事に山﨑さんが一生懸命に「あっ、あっ、うっ、…」って言おうとしてポロンと出た言葉という風にちゃんと演じていらっしゃるし、それを分かってはいなのに想いだけはちゃんと受け止める芙美(ふみ:蒼井優さん)がいる。あそこのシーンは二人がとても凄かったし、良いシーンが撮れたなって思っています。
―――― そのまま役者さんのお話に移っていきたいと思います。まず、お父さんが本の紙を食べてしまうシーンがありますが、あれは山﨑さんにしかできない演技なんじゃないかって思います。演出する上で、山﨑さんとはどのようなお話をされているのでしょうか?
中野量太監督
一番恵まれているなと思ったのは、キャスティングから“縁”なんですよね。何人かいる候補の中から山﨑さんにオファーを出した時に、山﨑さんが既に原作を読んでいて、映画化されるとしたら俺の所に来るだろうって思っていた所にオファーを出せた。これは僕から言わせると、もう半分勝ちなんですよ。だって、これ俺だったらやれるぞって思っている所にオファーを出せるなんて本当に縁だと思ったし、そこを引き当てたというのはまず半分勝ったなと。
更に、僕の過去の作品や脚本をみてくださって、(山﨑さんが)凄く気に入ってくださって。実はお家にも遊びに行って、半日くらいこの映画の話をしたりして、そんな関係性を山﨑さんと作ることが出来たんです。だから、現場でどうのこうのというよりも事前にたっぷり話し合えていたので、現場では“さあ、どんな演技を見せてくださいますか山﨑さん!”という僕に対して“流石山﨑さん、それ面白いですね!”と思わず唸ってしまうような演技で返してくれました。
―――― 昇平や娘たちをずっと支えてきたお母さん曜子を演じられた松原智恵子さんはいかがでしたか?
中野量太監督
松原さんは、僕が今迄で一番想像外だったというか…。実は、撮影二日目に松原さんの演出プランを変えたんですよ。本当はもうちょっと飄々としたお母さんを脚本に書いていたんですが、一日撮影してみたらそれが今ひとつ松原さんにハマらなかったんです。松原さんも窮屈そうというか、書いているお母さんを上手に表現しようとし過ぎちゃっている感じがして。
松原さんって映画の中でもそうですが、普段からめちゃめちゃ可愛らしい方なんです。現場では本当に三姉妹のようで、松原さんが三女みたいな感じなんです(笑)。もっと素の松原さんの可愛さを出した方がいいんじゃないかと思って、撮影二日目にして一日目に撮ったシーンをいきなりリテイクしたんです。「プラン変えたからリテイクさせて」って。方向性としては本来持っている松原さんの可愛さを活かしたお母さんにしようと思って変えたんです。それでも最初はうまくやろうとするから、その可愛さを出すためにちょっとテイクを重ねることもあったんです。なんとか松原さんの可愛らしい所を出そう、出そうと。最初のプランから変えたので実はちょっと編集するまで怖かったんです。それが編集をしてみたら、あらまあ可愛らしいお母さんになった、あそこでプラン変えて良かったって(笑)
―――― 原作のお母さんがいて、更に松原さんらしさも引き出されていて、あんなお母さんだったらいいなって思いました。そもそも中野監督の中で理想のお母さん像みたいなものがあるのでしょうか?
中野量太監督
ないです、ないです。
これはもう本当に松原さんがもって行ったんです。
僕がどうこうというより、松原さんの良さを出すのでもう必死でした。どんな風にするとかより、もう松原さんですよ。
逆に最初にどんな思いで脚本を書いたのか忘れました。
―――― あてがきはされてないけれど……
※あてがき:役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから脚本を書くこと。
中野量太監督
していないですし、それなのにこんなに素敵なお母さんが出来上がって。逆に言ったら「あてがきしました!」と言いたいくらいです。「松原さんを想って書きました!」ってね(笑)
―――― 恋愛や仕事で悩みを抱えている次女の芙美(ふみ)を演じた蒼井優さんについて教えてください。
中野量太監督
蒼井さんはどちらかと言ったら山﨑さんタイプなんです。山﨑さんは本を読み解く力が凄いある方で、間違わないんですよね。僕が書いた本の意図を。蒼井さんもそうなんですよ。だから二人は似ているなって思いながら演出をして…どちらかと言うと、“もう、見せてください!”って感じです。そうしたら面白い演技を見せてくれて、ちょっと違う所は直しますけど、基本的にはそんなに直さなかったと思います。蒼井さんはちゃんと理解してくれていましたし、そういう所が山﨑さんに似ているんです。
どっちかと言えば、松原さんと竹内さんが似ていて、山﨑さんと蒼井さんが似ているような関係で。
―――― 育児や夫との関係など家庭に悩みを抱えている長女の麻里を演じた竹内結子さんについても教えてください!
中野量太監督
先に蒼井さんのキャスティングが決まっていたので、絶対に違う魅力を発する方にお願いしたかったんです。ちょっと対照的な感じで。竹内さんはハマった時の芝居が凄いんです。だからそこの凄さを引き出そう、引き出そうという感じで。Skypeでお父さんに悩みを告白するシーンなんかは、竹内さんらしくて凄く良いシーンです。あそこはテイクを何度も重ねて、出してもらいました。
感覚として竹内さんも可愛らしい人なんです。凛としながら可愛らしいところもあるみたいな。そういう部分を上手く出せればいいなって思って演出しました。
―――― 家族の空気感がとても自然で、現場に入った時から皆さんがそうだったのでしょうか?監督が何か特別な作り方、演出をされたのでしょうか?
中野量太監督
僕は事前に家族を作る行事をやるんです。毎回色々と。例えば、『湯を沸かすほどの熱い愛』の時には、クランクイン前に親子で毎日メールをしてもらったりとか。
今回も何かしようと思っていて、この映画は70歳の誕生日に家族が集まって「お父さんは認知症です」とお母さんが伝え、娘たちが驚く所から物語が走り出すんです。そうだとすれば、認知症になる前の幸せだった時の誕生日会を知らないと、その芝居ってやり難いだろうと思って。“今回はそれだ!”って思ったからクランクイン前に67歳の誕生日会をやったんです、実は。
ハウススタジオを借りて、料理も全部用意して、ケーキも祝67歳バージョンにして、みんなあの帽子を被って。半分親睦会でもあり半分は役作りのような会を今回はやって。これはやって良かったなって思います。
―――― もちろん台詞はないですよね(笑)?
中野量太監督
ないです(笑)。
当然半分リハーサル的な意味合いもあるから、70歳の誕生日の時のリハーサルにもなるんですけど、そうじゃないただの誕生日会もやったんです。最後はただの人と人との飲み会になるんですが、それでいいんですよ。そうやって親睦を深めることで、初日から現場に(家族感が)出るんです。皆さんプロだから初めてやっても出来るんです。でも、それでは見えてこないものを僕は撮らなきゃいけないと思っているんです。
―――― 少し深い所に入っていきたいのですが、笑って、泣いて、感情をずっとグルグルと刺激されている状態が続いて、全編を通して感動しました。中野監督は人の心を動かす術をお持ちなのでしょうか?
中野量太監督
それは、実はあるんです。
僕らの心が動くのは、登場人物の人たちのその人らしさ、“ああ、お父ちゃんらしいな”とか、個々の人物の唯一無二の感情が出た時に僕らは“キュン”とするんです。だからそれぞれの個性があって、それぞれが個性を持って何かに反応したりする。人はみんな一人一人が違っていて、ちゃんとその一人一人が違うってことをお客さんが認識して、その人だからこうなんだ、こういう風に思うんだみたいな、そのたった一人のその人らしさというのに人間の心は反応するようになっていて。だから、多分感情が動く時は、皆、一人の人物として認めていて、この人がここで悲しむから自分も一緒に悲しくなったり、この人頑張れって思ったり。結局、一人の人を認めているんです。認めるためにはたった一人のその人らしさがないと、実は僕らは認められない。客観的に妹、お姉ちゃんって観られたら僕は負けだと思っていて、芙美、麻里って認めさせるためにはその人らしさを前面に出していかなくちゃいけない。
簡単に言うと、“状況“に涙して笑っている間はダメなんです。“人”に対して笑ったり涙をしているのが本当の笑いと涙だと思います。
よく悲しい状況で泣くってあるけど、それは上辺だけですね。その人の気持ちになって、涙する所までいかないと絶対にダメだと思っていて、それを実は丁寧に丁寧にやっていて、それが人の心を動かすことだと思っています。
―――― この人がこう言う、こう動く、こういう表情をするみたいな。
中野量太監督
そうそう。例えば、お父さんとお母さん、お父さんと娘、最後に心が通じ合って良かったなとかって、“人”と“人”なんですよ。“状況”ではなくて、本当に丁寧に一人の人物を描いていかないと、心を掴むことができない気がしていて。
“状況”ではなく、“人”に僕らは感動する。
―――― 長女麻里の息子崇(たかし)(役:蒲田優惟人さん&杉田雷麟さん)の話をお伺いします。まず、米国にいる崇が日本を訪れた際、祖父(昇平)に難解な漢字を教えてもらったことから“漢字マスター”と呼び(原作では<永久名人>と名付ける)、更に、米国にある自分の中学の校長先生を“マスター”と呼ぶことで、祖父と校長先生とがダブります。とても印象的なシーンだったのですが“マスター”という言葉やあのシーンに込めた監督の狙いを教えてください。
中野量太監督
あそこはね、原作者の中島先生も褒めてくれたシーンです。原作では明確にはダブらせていなくて、僕は原作のあのシーンが凄く好きだから、そこを強調するためにも、校長先生とお爺ちゃんを明確に繋げたかったんです。色々とやっていて、実はお父さんの部屋も校長室も部屋の作りを全部似せているんですよ。扉をあけて、机があって、右側に本棚があってとか。何となく(校長先生とお爺ちゃんを)近寄らせて、最後に手を挙げる素振りも一緒。
この物語ってわざと三世代にして、家族って世代を巡って継がれていくっていうイメージが僕の中にはあって、一番若い孫の崇なんかは、正に世代を継いで行く役割を果たしているような気がするんです。その辺も最後のシーンには込めたかったんですよ。
―――― なるほど!
中野量太監督
そう、なんとなく。葉っぱの“しおり”もお爺ちゃんが使っていて、芙美がそれを継いでいて、最後は崇が葉っぱを拾うんですよね。そうやって世代を継いでいくみたいなことを描きたくて、あのラストシーンになっていたりして。
―――― 最後に映画ファンにメッセージをお願いします。
中野量太監督
認知症がテーマと聞くと、暗くて、辛くて、と思われるかもしれないですけど、全然そういう映画ではないし、本当に各世代が共感できるように作ってあると思うんです。だから、楽しみに観に来て欲しいです。認知症ってこれから先誰もが避けては通れないことになってくるので、それをどの世代も自分の映画として観られるように、私の映画だと思えるように作っているつもりなので、そういう感覚で観に来てくれると嬉しいなと。
そして、笑ってください!!
―――― ありがとうございます!!
編集部より
前作『湯を沸かすほどの熱い愛』から3年。
「僕らは”人に感動する”んです」と教えてくださった中野量太監督は、一つ一つの会話や表情に心の声を込め、キャストやスタッフの皆さんと一緒に丁寧に『長いお別れ』を作り上げてくださいました。
そんな監督は劇中のシーンに話が及ぶと、どのシーンにも溢れんばかりの想いがあり、とても嬉しそうに振り返ってくださいました。
まさに一人の観客として、皆さんと同じ目線で完成した作品やキャストの演技を満喫されているのかもしれません。
中野量太監督にしか生み出すことができない、丁寧で愛情が詰まったオンリーワンのエンターテインメントの誕生です!
是非、皆さんの五感をフルに活用して、存分に楽しんでください!!
映画『長いお別れ』
5月31日(金)より全国ロードショー!
■ 『長いお別れ』予告編
監督:中野量太
出演:蒼井優 竹内結子 松原智恵子 山﨑努
脚本:中野量太 大野敏哉
原作:中島京子『長いお別れ』(文春文庫刊)
企画:アスミック・エース Hara Office
配給・制作:アスミック・エース
©2019『長いお別れ』製作委員会 ©中島京子/文藝春秋
公式サイト:http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/
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