“挑戦、そして映画を創る喜び” 映画『風の電話』諏訪敦彦監督 【インタビュー】

挑戦、そして映画を創る喜び
映画『風の電話』諏訪敦彦監督 【インタビュー】
フランスをはじめヨーロッパで圧倒的な評価を受けている諏訪敦彦監督。
広島から故郷の大槌町へと旅する主人公ハルを、注目の女優モトーラ世理奈が演じ、西島秀俊、西田敏行、三浦友和ら日本を代表する名優たちが、彼女の熱演を温かく包む映画『風の電話』が大ヒット上映中です。
今回は、本作の公開を記念して、諏訪敦彦監督に本作誕生の経緯から震災を映像にすることに対しての葛藤、独特の世界観を見事に表現した俳優陣への厚い信頼、そして完成した本作の様々なシーンについて振り返っていただきました。
―――― “このストーリーをやろう”と諏訪監督が決意された時のお気持ちをお聞かせください。
諏訪敦彦監督
最初は難しい題材だと思いました。こうすれば出来ると簡単に思えた訳ではなくて、“どういう風に映画に出来るのか?”という難しさを感じました。
もう一つ僕の中に、東北とか震災以降のテーマを映画でやる心の準備が整っていた訳ではないんです。これは自分から出た企画ではないことの一つの良さなんですけど、自分からだったら動けなかったと思うんです。ただ、これはきっかけだなと思って、自分としては触れないできたけど、いつか触れなくてはならないと感じてもいたので、よしやってみようという気になれた。
久しぶりに日本を撮る、日本という国をどうのように撮れるか?という関心もありました。
―――― 映画全体はモトーラ世理奈さん演じる若い女性ハルの成長物語であり、ロードムービーでもあったと思いますが、監督ご自身は「3.11」をどのように受け止めていらっしゃるのでしょうか。当時は、日本にいらっしゃったのですか?
諏訪敦彦監督
(日本に)いました。会議中に大きな揺れがありました。
東京造形大学の学長を務めていた時で、その年の卒業式をやるのかやらないのかなど、色んな判断を学長として迫られました。結局、卒業式は出来なかったので、学生に対してはビデオでメッセージを届けました。
これはもちろん大きな体験なんですけども、映画に関わっている人間、あるいは映像に関わっている人間として、この問題をどういう風に受け止めたらいいのかを色々考えたし、仲間と議論したりとかもありました。
つまり、あの映像体験なんです。震災というものが、津波が全てを呑み込んでいく映像を目の当たりにするという体験。神戸は神戸で朝テレビをつけたら街が燃えている。廃墟が本当に出現するんだという体験をしたし、それを映像で見る体験もしました。津波は一瞬にして全てを流してしまう。あのヘリからの映像をずっと見ているわけですから、圧倒的な映像体験なんです。
それに対してどうリアクションするのか。その時みんな、カメラマンも含めて色々と判断したと思うんです。僕たちの仲間は考えたと思うし、(トークショーでご一緒した)今関さんはもっと以前からチェルノブイリをやられていたりとか、問題意識を持って行動されてきたから、行くのは当然だと思うし、それが彼の仕事だから。だけど、僕自身はそういう仕事をしてきたわけではないし。
でも「さぁ、こういうことが起きたぞ!」とカメラ持って行く気にはなれないわけです。だって、行けば写ることは分かりきっているわけなんで、それまで皆が悩んでいたのは、ドキュメンタリーにしても何か撮ろうと思っても何も写らない時代を生きてきたわけです。カメラを向けただけで何か問題が写るわけではない。だから日本のドキュメンタリーは家族の問題とか自分の内面的な問題にテーマをシフトしていった。それが、ある時一瞬にして廃墟がパァーっと広がり、そこにカメラを持って行くっていうのは、分かるけどその映像が一つ増えたり、二つ増えたり、僕が行って撮ることで何かの役に立つのだろうか、何か意味があるのかなと思えた。だから僕は行かない、だけど自分の距離感でやれることはやろうと思ったんです。
今回は、それから8年が経ち、目に見える傷が消え写らないということ、だけどそれはなくなったわけではない。写らないけど、なくなっていないものを映画で表現出来るのではないか、そういう挑戦だったと思います。
―――― 時間が経つことによって、「破壊」というものが一体何を破壊したのか。それがあぶり出されてきたのかもしれません。
諏訪敦彦監督
そうですね。街や建物とか圧倒的に物が破壊された訳です。だけど、それは片付いたかもしれないが、片付かないものがあるよねっていうことを改めて感じたというか。だから、「なくなってないよね?」って。時間が経てば傷が消えていくという風に思うかもしれないけど、むしろ、「時間が経ってしまうことで深まる傷もあるよね」というか、そういうことは感じたんです。
―――― “風の電話”の存在を聞いた時にストーリーはパッと思い浮かびましたか?
諏訪敦彦監督
いや、段々と。
実際にロケハンとかで移動して風景を見ていく中で、こういう映画になっていくんじゃないかってイメージは作っていたと思うんです。ただ、“風の電話”は本当に最後にしか出ないんです。今思えば、彼女はあそこで白紙の状態で演技をしたので、恐ろしいことやったなと。あれが上手くいかなかったらどうしたんだろうって。この映画成立しなかったなって思いますけど(笑)。
でも、それがこの映画でやりたかったことだったなと撮り終えて思いました。あのシーンを撮りたかったんだな、こういう風に撮りたかったんだ、と。
―――― 監督自身も撮り終えて改めて感じたのですね。
諏訪敦彦監督
これが自分のやりたかったことだったんだという感じがしました。
ああいう気持ちになったのは初めてで、自分が撮っているのは一体何なんだろうって。フィクションでも現実でもない何かなんですよ。そういうものに触れるって感覚が凄くあって、それはモトーラさんのお陰です。
―――― 震災では色々な世代の方が被害を受け、辛い思いをされていると思います。モトーラさんは若い方なので、若い世代に対するメッセージもあったのかなと思います。最後に登場する少年もそうなのかもしれませんが、震災に限らず、監督なりに若者へのメッセージが込められているのではないでしょうか。
諏訪敦彦監督
僕自身は映画をメッセージではないと思っているので、何かを伝達するものではないし、僕が思っていることを伝えるための手段ではないんです。つまり、表現なので、僕が言いたいこと言うためには2時間19分かかるということなんです。
ただ若い人、確かに若い人って問題もあって、若い人が傷ついてると思うんです。あまり若い人と歳を取った人を意識してないんですけど、一つ意識しているとすれば、青少年の自殺がこんなに増えている国はありません。自殺者全体は減っているかもしれないけど、若年層の自殺は増えているんです。小学校の先生とかのお話を聞くと、みんな自己肯定感がなくなっていて、孤立しているとか、孤独であるとか。これは多分ヨーロッパとは違う、日本の問題です。子供たちがどれだけ傷ついているかです。それは、震災云々じゃなく、この社会の中で子供たちが傷ついている状況があると思う。だから、せめて“死ぬな”と思う訳です。それはどこかで意識していた。“死ぬなよ”と。
―――― 劇中の台詞の中にも出てきますね。
諏訪敦彦監督
それは震災だからってだけではなくて、子供たちに「死ぬな」と言いたい気持ちは常にあります。子供映画教室とか映画の教育をやっているんだけど、それは彼らの自己肯定感をなんとか育てたい、学校に行きたくないとか行けない子とかに「こっちに集まって一緒にやろうよ」とか。そこで映画が何か役に立てたと思えれば、そういうことを映画は許容してくれるから、そういう経験をして欲しいという気持ちはあります。
次ページは、モトーラさんや西島さんなどキャスト陣についての話しも聞いています。
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