いじめ問題に“加害者側の視点”映画『許された子どもたち』内藤瑛亮監督インタビュー

   
許された子どもたち 内藤瑛亮監督

いじめ問題に“加害者側の視点”
映画『許された子どもたち』
内藤瑛亮監督インタビュー

「山形マット死事件」(1993 年)や「川崎市中1男子生徒殺害事件」(2015年)など実際に起きた複数の少年事件に着想を得た映画『許された子どもたち

監督を務めるのは『先生を流産させる会』『ライチ☆光クラブ』『ミスミソウ』など、その衝撃的な内容により作品が発表されるたび物議を醸す内藤瑛亮監督

8年の歳月をかけて構想し、出演者とのワークショップを重ね自主映画として完成させた本作はいじめの問題について、これまで目が向けられてこなかった様々な視点を、私たち観客に突き付けていきます。

【自分の子どもがいじめの加害者である】あなたはその事実を受け入れることが出来ますか?この映画と内藤監督の言葉から一緒に考えていきましょう!

山形マット死事件の記憶

―――― “山形マット死事件”、“川崎市中1男子生徒殺害事件”を着想にし、いじめをテーマにした映画を作られたと思いますが、なぜこの作品を作ろうと思われたのか?監督自身がいじめというテーマにこだわりがあったのか?その辺りを教えてください。

内藤瑛亮監督
この企画を作り始めたのは8年前ぐらい、初長編の『先生を流産させる会』公開の前ぐらいから考えていたんです。根っこにあるのが“山形マット死事件”で、僕が小学4年生の頃に起きた事件なので、ずっと引っかかってたんです。

というのも、山形の家庭裁判所で加害少年の一部に無罪に相当する“不処分”の判決が下されて、それが結構ショックでした。最初は少年たちが自供していたのに、否認に転じて法的にもそれが認められ許されてしまう。冤罪の可能性もゼロではないですけど、(当時の資料を)読んでみるとどう考えても加害しただろうっていうのが“こんなことになってしまうのか”っていうのはずっと引っかかっていて。

調べ直したら後々仙台の高等裁判所では事件に関与はしていることが認定されたんですけど、“もし、不処分のまま続いてしまったらどうなったんだろう?”っていうところが気になってこの企画を考え始めたんです。

許された子どもたち 内藤瑛亮監督

内藤瑛亮監督

―――― なるほど。子どもながらにも気持ち悪さが残っていて、その問題を取り上げて表に出していきたいということだったんですね。

内藤瑛亮監督
そうですね。子どもが自供から否認に転じたのは、家族の助言や支援があったんじゃないかと言われていて、実際に家族も「冤罪である。この子たちには問題ない」ってことは訴えてたりして。

商業の映画監督をやる前に僕自身教員をやっていたので、そういう親の心理も分かるというか、許す訳じゃないんですけど理解は出来るなってところはあって。そういう面もありますかね。親側の視点でも“山形マット死事件”の問題を受け止め考えるようになったので、これは作劇していきたいなって。

―――― 映画の全体を通して、キャストの皆さんの生き生きとした演技にはリアルさを感じましたし、まさに迫真の演技でした。
ワークショップを開き、いじめについて討論させつつ意識をさせながら撮影されたとのことですが、キャストの方々に対するディレクションのポイントを教えてください。

内藤瑛亮監督
日本の映画は全体的に予算が大きくないので、俳優を拘束出来る期間がタイトなんです。何本か自分も低予算の作品を作ってきた中で、もっと俳優と役を作ってく時間が欲しいなって以前から思っていたんです。今回は自主制作でやろうと決めた時に、俳優とテーマを一緒に考えていく場が作りたいなっていうのは第一としてありました。

中高生向けにワークショプを開いて、演技技術を磨くワークショプではなく、“少年犯罪における問題を一緒に考えていきましょう”というテーマだったので、それに応募してきた子はやはり何かしら意識があって、いじめ問題を常日頃考えている子たち。その子たちと、事件の実例をこちらが紹介して、「こんな問題がある。こういう観点があるね」って言って皆の意見を聞いたり、ディスカッションをさせたり、あるいはいじめをロールプレイしてみたり、即興演技をしてみたりして、子どもたち自身にも考えてもらうし、そこから出されたアイディアを脚本や演出にフィードバックしていくこともしました。なので僕自身得られるものが非常に多かったです。

内藤瑛亮監督 8 年ぶりの新作映画『許された子どもたち』

市川絆星(いちかわ きら)役の上村 侑

―――― フィードバックしたことを具体的にお聞かせいただけますか?

内藤瑛亮監督
ワークショプの最後の企画で短編を撮りました。2人1組で1人が加害少年、もう1人が被害者家族の設定で【偶然加害少年が殺害現場に訪れたら被害者家族がいた。そこで加害者が謝罪を行う】という即興演技をやってもらったんです。どう謝るか、どう受け止めるかは子どもたち自身に考えてもらいました。

本編でも被害者家族の家に加害者が訪れる場面があるんですけど、あの辺の動きは子どもたちから出たアイディアを取り入れています。例えば、土下座しようとしたら胸倉を掴かむとかは、演じた子が考えたアイディアです。事件現場で花束を投げつけるけど何度も拾いに行くのも、彼らが考えたものです。

―――― うーん、非常に考えさせられましたし、胸倉を掴まれた時は「ワァッ!何されるんだろう」と思いました。
ところで、オープニングのシーンで血だらけで登場した子どもは絆星(キラ)君ですよね。なぜいじめたのか、なぜいじめられて来たのかは語られていません。観ている方としては、“なんでこんなにいじめられたんだろう”と思いました。このシーンについてはどんな意図が隠されていたのですか?

内藤瑛亮監督
いじめのロールプレイをワークショプの中でやったんですけど、それは抽象的な役名をつけて、例えば「アイスクリームさん」として、「お前は甘いんだよ!冷たいんだよ!」って、役名にちなんで罵倒するもので、いじめっていうのはそもそもそれぐらい不条理なものなんだって、理由は何でもいい、アイスクリームって名前ならアイスクリームから勝手に紐付けて理由は作れるっていうのが僕の考えです。なので、理由は関係ないんだって。

少年時代の絆星がいじめられていた理由と、樹(いつき)君がいじめられた理由とかも特に明かさないけどそもそも理由に意味はない。逆に、後半に出て来る桃子がいじめられた理由は明かされるんですけど、それは加害者がいじめ行為を正当化するためだけにある。逆にそういう差を出したかった。

被害者が加害者になる

―――― いじめられた経験があったけど、いじめる側になった。いじめる側の心理と不条理にいじめられた自分が客観的に見えるような状況です。絆星は相手や自分の感情を客観視すること自体に関心を持っているようにも見えました。
そうしたことに大人が気付いていくことが事件のエスカレートを止めるきっかけになるのかもしれません。大人の目線から見た時の、子どもの世界への口出しの仕方、介入の仕方、どう保護してあげるのかについてはどの様にお考えですか?

内藤瑛亮監督
被害者から加害者に転じてしまうケースは決して少なくないです。

社会学者の内藤朝雄さんが言うには、いじめの被害者が加害者に転じるのは一種の治癒行為に近いのだと。いじめられていた弱い自分を打ち消して、強い自分を作り出す。だから、決して褒められた行為ではないんですけど、その真意自体は分かるじゃないですか。

仰るように、大人側がそれを理解することによって止めることだったり、未然に防ぐことも出来るかもしれないし、絆星君は一方的な加害者ではなく、過去に被害者だったという経緯は結構重要だと思って冒頭の部分を描いています。

川崎の中1殺害事件の犯人も、かつていじめられていたという背景があって、彼はメチャクチャ悪い方じゃなくて、どちらかというと弱い立場にあった。実際、事件が起きる前にもっと強い不良グループからボコられた過去があって、そこの逆恨みもあって、上村君にあのようなリンチをしてしまった。

ただ単に彼らが悪人だってどうしても思いがちですけど、そこにはこういう関係性があって、それを知れば止められたんじゃないか、あるいは、自分自身を振り返ってみてそういうことがあるんじゃないかっていうことは感じます。

―――― 大人の役割として、何でも大人が解決することについては否定的ではいるものの、表面をなぞるようなものでは解決には至らないでしょうし、大人だからこそ出来る状況・背景の整理というものが、ある程度救いになるのかなとも思います。

許された子どもたち 内藤瑛亮監督

内藤瑛亮監督
そうですね。
教員の経験からも感じるのは、子供同士の関係性や社会もあるので、そこに大人が介入して必ずしも成功する訳ではない。逆にいじめが加速してしまう悪い例もある。かと言って放置していい訳じゃないんですけど、その距離感の取り方とか見極め方が非常に難しいと思っています。

今回、撮影して怖いなって感じたのは、いじめっ子役といじめられっ子役がいるんですけど、休憩時間中の言葉のやり取りが、加害者役から被害者役への当たりがちょっときついなって感じたことがあって。

これは前半の男の子グループも後半の女の子グループも一緒で、ちょっとスタッフ同士で話して「あれどう思う?」って。手を出してるわけじゃないし、言葉もメチャクチャ酷いこと言ってるわけじゃないけど、“ちょっと冷たい感じがするなぁ”みたいな感触。事前にそういう心配もあったので、カウンセラーの人にリハーサルとか現場に来てもらってアドバイスを受けて、その件も相談しました。多分そんなに意識してるわけじゃないけど、役を演じているのと自分をうまく切り離せてないんじゃないかって。

それって実際のいじめもそんな感じじゃないかなと思って、いじり役、いじられ役、笑いとしてそういう役をお互いに演じている時があると思うんですけど、それが切り替え不可能になって地に染み付いてしまって言い方が冷たくなるっていうのは特に男に多いような感じがして、これはあくまでもこういうノリだからみたいな感じ。

そういう心配があったのでその時は子どもたちにも声をかけて、あくまで撮影への演出の意図も込めて、「加害者チームと被害者チームは休憩中に喋らないようしよう」と。加害者チームがクールダウン出来るようにして、被害者チームの方に声かけしたり配慮するようにして、途中から落ち着きました。

“我が子が加害者”を受け入れる難しさ

―――― ちょっとしたきっかけでいじめが芽生えてしまう、普通に起こり得るということですね。
ところで、絆星君には子供ゆえの純粋さが見え隠れしていました。その子供らしさ、純粋さに対して、お母さんは守る方向に力を働かせたわけです。でも、大人として理性を持って子供に接すること、そしてきちんした人物に育て上げる義務があるのだと思いました。

内藤瑛亮監督
ちなみに、絆星君の純粋さは例えばどの辺りでしょうか?

―――― 悪いことをしたらやっぱり謝るべきなんだってところに気持ちが変わっていくところや、殺すつもりはなくて、いじめのエスカレートだったと捉えるならば、“殺すつもりはなかったんだ”という気持ちが“チラッ”とその表情の中に感じました。

許された子どもたち 内藤瑛亮監督

内藤瑛亮監督
絆星君は自分で暴力衝動を制御出来ない、自分では止められない。そういう部分をああいうリンチしちゃう人たち、特に男子グループに感じるんです。川崎中一殺害事件の3人の少年の傍聴記録を読むと、当然リーダー格の少年Aが真っ黒な凶悪な人間だろうと思って読んでいくと、自分がグループの中でリーダーとして振る舞わなきゃいけないって焦りが読み取れて。だからこそ過剰に暴力を奮ってしまう。周りに示しがつかないみたいな。そういった心理が働いてしまう。勿論、大人が冷静に見ればそれは間違っているんですけど、それはあり得る心理だろうなと。

しかも、いじめの被害者だった事や傷跡が残っている事がお母さん、家族にとって目を曇らせてしまうだろうなと思って。被害者である事実は痛感し易いと思うんです。でも、加害者であるというのは非常に感じ辛いというか、子どもが加害者と指摘されても、加害行為は目に見えないし、証拠はないじゃないですか。逆に被害者だった場合は、傷つけられた事実は目に見える。物理的な傷があれば明白だし。心の傷を負えば、いつもと様子が違うってなる。だからこそ、意識としてうちの子は加害者というより被害者であるという意識にお母さんもいってしまうんだろうなと思っていて。

教員をやっていた時もちょっと感じたんです。全員の保護者ではないですが、自分の子どもが被害者であることは比較的に受け入れ易いんですけど、加害者であることは受け入れ難いんです。

やはり子どもなので問題行動は起こしますし、学校側は指導したいので伝える。それは、その子が更生できない悪い子だとは思っていないし、そういう過ちは「誰にもあり得る」というトーンでは話しているんですけど、加害者である事実を受け入れられなくて、何か誤解があるんじゃないかとか、本当は被害者で向こうが悪いんじゃないかとか、そっちに意識が行ってしまうことってあったんです。だからと言って、その保護者が悪い人だとは思わないんです。自分の子どもを愛しているし、守りたいし、守らなきゃいけないっていう思いがあってそっちに行ってしまう。そういう問題の難しさがあるんです。

―――― 子どもたちは人の生と死を重く受け止めるべく勉強をしなくてはならないにも関わらず、親や大人がそれを見過ごしてしまうのは、加害行為に対するちょっとした甘さ、許容のし辛さがあり、きちんとした役目を果たすことが出来ていないということですね、難しいです。

『許された子どもたち』全州国際映画祭2020出品!

内藤瑛亮監督
実際、大人の自分であっても、被害者であることより加害者であるという意識は誰かに指摘されたとしても受け入れ辛いところはあると思うんです。「いや、それはちょっと誤解だよ」とか、「そういう意味じゃないんだけどなぁ」とか。誰でも傷つけてしまうことはあると思うんですけど、そこと向き合うことの難しさみたいなところは凄く感じています。

―――― 企業でもパワハラやセクハラに話になると、確かにパワハラしている方からすると、「いやいや、そうじゃないんだ」という話があり、一方でされた方は「いや、受け手の気持ちですから」と。
具体性を取っ払ってしまって、漠然とした気持ちのやり取りの中で勝敗をつけていくみたいなところがあることも、先ほどの話に戻るんですけど、具体性を欠いた議論がミスリードさせてしまうんじゃないかなという気もします。

内藤瑛亮監督
映画の現場も結構古い体質なんで、パワハラ・セクハラだなと感じることはたまにあるんですよね。

してる方は、「いや、これは別に愛情でやってるんで」とか、「これぐらいノリじゃないか」となるんですけど、僕は監督なんで直接食らうことはないんですけど、客観的に見ていると技術部とかそういう感じがあるんですよね。体育会系的な面もあるので。

見ていて嫌な気分にもなるんですよね。『許された子どもたち』の体制ではそういう酷いものはなかったですけど、撮影が差し迫ってくるとピリピリして怒鳴り声とか出がちなんですよね。カメラマンの人が怒鳴ったスタッフに対して、「止めましょう、そういうのは。特に子どもの前では良くないですよ」みたいなことを言ってくれて、そういうことは意識した温和な現場でした(笑)。

役者も素人の子たちも多いので、映画の現場で当たり前だと思っていることが当たり前とは限らないから、その辺は配慮しながら進めていきました。

―――― クラスでいじめの議論をしていますが、子どもたちは「いじめられる方も悪いんじゃないの?」「いじめる方がもっと悪いよ」といった話で盛り上がります。最終的には絆星くんを皆で陥れる方向にさえいってしまう。
いじめをどれだけ議論させたところで、結論が出ないのではないか?起きたことに対してより具体的に、事実を丁寧に把握していくことが必要なのかな、とも感じたシーンでした。

内藤瑛亮監督
あのドキュメンタリー的な討論をやろうというのは初期の頃から考えていました。参加者をネットで募集したんですけど、「いじめに関する討論をしてもらいます」と指定して、そこで意見がある人、言いたい人に集まってもらったんです。

最初は「いじめをなくすために出来ること」というテーマで自分の意見で書いてもらったんですけど、問題意識がある子たちなので、結構優等生的な答えが多くて、ちょっとこれだと議論にならないなと感じて。「じゃあ、いじめられている側に責任があると考えて意見を考えてみて」って。キャラクターを演じながら意見を書いてもらったんです。各々の意見をチョイスして組み合わせて討論してもらったので、あの討論の内容は彼らに任せたんです。語弊はありますが、面白いなって彼らなりの論法というか発想があって。

「いじめをなくすためには、夢を持てばいい」って意見に対して「お前の夢って何だよ!」「言ってみろよ!」「え?ないの?なんだよ、それ!!」って問い詰めて、意見した人がモゴモゴしちゃう。

ああいうノリだと思うんですよね、実際の子どもたちは。いじめている側の方が楽しい雰囲気になってしまうというか、真っ当に被害者側を思いやって伝えようとした意見がシラケてしまうような感じがあるのは事実だなと思って。やはり面白い意見、強い意見の声が大きくなってしまうけど、そこは注意しないといけないというのが僕のスタンスです。

ネットとかでもそうですけど、多少語弊があったとしても、過剰な意見というか断定した意見って人気を集め易い。ただ、物事って色んな側面があるから、真面目に考えれば考えるほどハッキリしない言い回しになってしまいますよね。でも、それを恐れちゃダメだし、断定的な意見に甘えてはいけない、そっちを持ち上げることは凄く危険だよみたいな想いですかね。

―――― 大人の世界を振り返ってみてもそれは感じます。根拠が明らかでない個人的な単純な意見だとしても、声が強い、話し方が上手い、それだけでミスリードされてしまう傾向がありますものね。子どもの世界を見ながら大人の世界も振り返ってみると、いいフィードバックが出来るのかもしれないですね。これに一般論の解決策はない訳ですよね。

内藤瑛亮監督
そもそも明確にはないし、でも、ないんだってことは受け入れなきゃいけないかなと。

だから、絆星(キラ)くんに処罰を求める存在として、リンチするヤンキーだったり、ネット上に(実名や居場所を)晒す男の子だったり、ハンマーで殴りかかってくるあの男の子だったりとかそれぞれいるんですけど、ああいう“処罰感情”っていうのは、皆が持ってると思うんですね。

それが明らかになったのは、“川崎中1殺害事件”だと思っていて、ネット上で加害者少年の名前とか家族とかを特定して明かすっていう、気持ちは分からないでもないですけど、でもそれって結局自己満足的なもので、むしろそういった無責任な“処罰感情”ってのが絆星くんを贖罪から遠ざけて、より強大なモンスターにしちゃったんじゃないかなと、育てたのは皆でもあるんじゃないかっていう想いがあります。

内藤瑛亮監督 8 年ぶりの新作映画『許された子どもたち』

―――― なるほど、監督の想いが少し垣間見れたような気がしました。私たちもネット環境で情報を扱っているので、ネット環境へのきちんとした向き合い方を子ども達にも伝えていかなくてはいけないと、話をすることが多いです。

内藤瑛亮監督
そうですよね。もう子どもの時からありますからね。いじめじゃないですけど、ネット上で人気を集めたいがために、色っぽい写真を自分で撮ってあげちゃう、みたいな子もいるじゃないですか。それは一生残ってしまうし。身を守ることを教えると同時に、そういうことを求めてやらせることは恐ろしいことだって、加害者にもならないように教えていかなきゃいけないなって。軽い悪戯のつもりが、物凄く深く傷つけてしまうこともあるって。

―――― 逆に、絆星くんに罪を犯した事実を分からせ続けられるのは、ネットの声しかないのかなとも思います。マスコミも一瞬は食いついたとしても、監督のようにずっと真相を追って、その先がどうなっていくかみたいなところは見てないかもしれないです。そうするとあのネットの叩きも一概に悪とは言えないのかなって、そんな気持ちにもなってきたんですけど?

内藤瑛亮監督
ネットリンチも結局マスコミと似てて、ある時期が過ぎると干渉しなくなって次の獲物を見つけに行ってしまうので。こんな酷い状況だから叩かれて当然だと思いたくなる気持ちは皆あると思うんですよね。でも、それが直接結びつかないんじゃないかなとは思ってて。むしろ、これは演じた加害者家族の人とか絆星くんとも話したんですけど、攻撃してくる人たちに対して自分たちを守ろう、自分の子どもを守ろうという意識にしかいかなくなる、樹くんのことに意識がいかなくなると。

だから、突きつけてくる人たちは「樹くんのこと忘れるなよ」「お前、罪あるだろ」と言ってるんですけど、批判の内容を受け入れる気持ちにならない、刃がこっちに突き刺さってくるだけの心理になるってことを言っていて、その辺は役者さんに演じてもらうことによって、僕も「ああなるほど、そっか」って感じることありましたね。

あと、法的な面で言うと、少年審判の“事実認定が甘い”ってことが問題視されていて、あくまで非行した少年を更生させるための場所なので、裁判のように事実がどうだったかって、はっきり問うていく場ではあまりないんですよね。“山形マット死事件”とか、物的証拠が残ってなかったのもあって、事実がはっきり分かりずらいと。

でも、何より事実をはっきりすることが非行少年の更生にも繋がるし、被害者家族も事実が何だったのかと知りたい。マット死事件が不処分になっちゃった時の問題は、マットにくるまれて死んだんですけど、あの少年は自分からマットに入って死んだのか?と、そんなわけはないんですけど、でも、事実認定が甘いから、「自分でマットに入って死んだ」と考えなければ成立しない状況になってしまっていて。事実をはっきりすることが、法的な面では解決の一つかなと思っています。

―――― アリバイも18時か19時なのかぐらいは、ちょっと警察が調べれば分かるんじゃないかとも思いました。

内藤瑛亮監督
マット死事件も、加害者家族同士でアリバイを示し合わせたんじゃないかっていう疑惑があったんですね。その辺がもっと厳しい目でチェック出来ていたら事実がはっきりしただろうし。

―――― ところで、絆星くんは、新しい出会いによって謝罪の意識が芽生えます。だけど、被害者側の母親から「あなた、何に対して謝ろうと思ってるの?」という一言で、気持ちの中で何かが爆発してしまったような状況になります。監督はあのシーンで、どんな意図を込められたのですか?

許された子どもたち 内藤瑛亮監督

内藤瑛亮監督
絆星くんはあまり感情を表に出さないんですけど、前半においては罪の意識が少なからずあるっていう風には考えています。

それは“山形マット死事件”でも最初自供していたという事実があったり、川崎の事件でも裁判の中では彼は謝罪の意図があったようで、反省することを口にしているんですけど、少なからず罪の意識はあるとは思うんですね。

ただ、それが被害者家族から見て足りてるかどうかは、また別の話だと思うんです。僕らもニュースとかを見て「いや、こんなの反省してない」と感じることは多いだろうし。

じゃ逆に、何をしたら受け入れてもらえるか?ってのは非常に難しい問題で、これはワークショプやリハーサルでも、加害者側が反省しようとした、謝罪しようとした、贖罪しようとしたっていう事例をいくつか見せたんですが、やはり中々被害者家族には受け入れてもらえないんですね。自己満足のためじゃないかとか、本当にそれは本心なのか?っていう疑いから始まるっていう難しさがあると思うんですよね。

ただ、贖罪し続けようっていう姿勢は凄く大事だと思っていて、だからこそ桃子(役:名倉雪乃さん)がそういう道を勧めるんだけど、それはそれで非常に難しいことだと思うんです。何とか謝罪に行ったけど被害者に断られてしまって結局それで諦めちゃった、みたいなパターンもあって。でもそれだと結局、“本当に反省してないんだな”ってことになるじゃないですか。本人としては反省したい、謝罪したいと思っても、被害者からしたらそれは本当にそうなの?って問われるのは当然です。でも、本当はそこで続けなきゃいけないだろうっていうことですかね。

(事件を起こした仲間の一人である緑夢くんは)事件現場に花を置いて、彼は彼なりに贖罪の道を見つけているわけですが、それを偽善に感じる人も当然いるだろうけど、自分なりに何かその道を探して、批判されたとしても続けなきゃいけないだろうってのが彼の姿勢で、同時にそれを絆星くんに示してるっていうことですね。

―――― 絆星くんは花を投げ捨てて「偽善者ぶってんじゃねぇ!」と怒っています。桃子は「何をそんなに怒ってるの?」と言っていました。この怒りの質をどう表現したらいいのでしょうか?

内藤瑛亮監督
贖罪の道を進む困難さを彼は受け入れ難いんです。その辛さを緑夢くんは耐えられてるけど、自分は出来ないっていうのを突きつけられたから怒ってる。実質は自分に怒ってるわけです。

ラストに込めた最も恐ろしいこと

―――― 絆星くんは自分自身がいじめられていたことは棚に上げておいて、何で自分だけ責められなければならないのかなど、複雑な感情が噴き出したのだと感じました。
そして最後の母親と絆星くんの喫茶店での会話がもう衝撃的でした。このラストへ繋がっていく構成が凄く良く出来ていると思いました。撮影はラストまで順撮りでいかれたんですか?

内藤瑛亮監督
ほぼほぼ順撮りですかね。

脚本上は、結末は凄く悩んで、どう終わらせたら良いのかと。今回撮影が、前半の夏に撮ったのと、後半冬に撮るのとで期間が分かれていて、夏編が終わった後にラストについては再構成して直して、そこで出て来たのが喫茶店の場面です。

ノーカントリー』ってハビエル・バルテムが出てるコーエン兄弟監督の映画があって、あれがラストで夢の会話をするんですよね。主人公のトミー・リー・ジョーンズが見た夢を。こういう方式で何か出来ないかなと思っていて、彼が見た夢とその解釈を話すんですけど、それが彼らなりの結論というか、生き方を決めてしまったことを暗示出来るなと思っていて。

やっぱり一番恐ろしいなと思うのは、罪を犯した人が贖罪することを完全に放棄してしまって、平和に暮らすこと。平穏に暮らしていけることが一番ゾッとするなと。これは山形の事件もそうで、加害少年たちって今結婚して子供もいるんですよね。損害賠償は起こされて賠償金払わなきゃいけない要請を受けているんですけど、払ってない人が多いんですよね。踏み倒せてしまうという法的な問題もあるんですけど、それが結構僕は怖くて。どういう思いで奥さんや自分の子どもと接するんだろうって。でも、出来てしまうんだなっていう事実、恐ろしさもあって。彼らは最初自供してたわけですから、それを信じるなら罪の意識は少なからずあったわけです。でも、それを完全に捨ててしまうことが出来て。

絆星くんはあの後大人になって結婚して、奥さんには子どもを産まれたり、仕事していくことも出来るんじゃないかなと。そのためにはお母さんも彼も完全に罪の意識は捨てるというのがあの長い夕日の場面ですね。それを捨ててしまった彼ら、ある意味生まれ直して、恐ろしいモンスターに生まれ変わってしまった。その恐ろしさというのは喫茶店で平穏に話すってことかな。観た人に言われたんですけど“あそこで赤ちゃん登場するとギョッとする”と。樹くんだってああいう可愛い子供だったわけですから。

―――― 命を奪っておいて、生まれたばかりの命と対峙するっていうコントラストが気持ち悪いですし、絆星くんが「お母さん、夢占いだと生まれ変わりらしいよ」と言った時のお母さんのちょっとした微妙な表情も引っ掛かりました。

内藤瑛亮監督
そうですね、本当に夢を見たのかって問題もあるし、あれ自体も何か母を励ますための作り話かもしれない。実はあの夢、実際僕が見た夢なんですよね(笑)。

許された子どもたち 内藤瑛亮監督

どんな夢にしようか皆でアイディア出して、頭が破裂する夢見て、調べたら“再生”なんだと思って。よかった、よかった、みたいな。ふと、絆星が自分たちで再生だって言ってしまったら、一番怖いよなって思って。

―――― しかも、絆星くんと母親は改めて仲のいい親子の関係に戻ったという意味でも非常に気持ちが悪かったです。

内藤瑛亮監督
一般的に成長の物語って親を殺して進んでいくもので、親から自立して大人になっていくのが基本なんですけど、この作品ではそれも失敗してしまう。親からの自立に失敗して、精神的な意味での成長は失ってしまったことになります。

―――― やっぱりお母さんは絆星くんに対して甘かったのかなと思いますし、親の立場としては、子どもが成長して世の中でしっかり生きていくために、どうすることが幸せなんだっけ?みたいなことを凄く考えさせられました。子供の受け止め方もあるので厳しくしたり声を荒げるといっても難しいなと思っていて、とはいえそれはやっぱり逃げずに考えさせるようなことをやらないといけないのかなってのは、今感じています。

内藤瑛亮監督
事例の中にも男親が逃げてしまうみたいな、責任負わないみたいなところはありました。オーディションの時に来てくれた大人の人に「自分の子どもがいじめていて、人を殺しちゃったらどうしますか?」って聞いたんですけど、比較的男性の方が「分からない」「どうしたらいいか?」「どうしようもないかもしれない」みたいなこと仰る方が多くて、女性の方が「仮にそれが事実だったとしても、一緒に生きてくと思う」みたいなことをはっきり意見として言う方が多くて、その辺の印象も(絆星くんの)お父さんには反映してますかね。

―――― 最後に監督から映画ファンに向けてメッセージをお願いします。

内藤瑛亮監督
映画とかフィクションの良さとしては、自分とは違う立場・視点に入ってこの世界を見て、その結果自分につながるところが発見出来るっていう良さがあると思うんです。

いじめって、少人数を、一人を、大勢で加害するのがいじめなので、いじめに関するニュースを目にした時に、どうしても被害者側の視点に立って受け止めがちですけど、自分なり、自分の子どもが加害者になる可能性が本当は高いんですよね。自分もかつて、遊びのつもりだったけど、傷つけてしまったってことはあるとは思うんです。

この物語で加害者側の視点に立って観ることで、ニュースを受け止めた時には分からない世界の見え方があるんじゃないかなと思いますので、是非観て欲しいなと思います。

―――― ありがとうございました!!

内藤瑛亮監督 8 年ぶりの新作映画『許された子どもたち』

映画『許された子どもたち』予告動画

キャスト

上村 侑
黒岩よし
名倉雪乃
阿部匠晟
池田朱那
大嶋康太
清水 凌
住川龍珠
津田 茜
西川ゆず
野呈安見
春名柊夜
日野友和
美輪ひまり
茂木拓也
矢口凜華
山崎汐南
地曵 豪
門田麻衣子
三原哲郎
相馬絵美

監督・スタッフ

監督:内藤瑛亮
プロデューサー:内藤瑛亮、田坂公章、牛山拓二
脚本:内藤瑛亮、山形哲生

撮影監督:伊集守忠
照明:加藤大輝
山口峰寛
録音・整音:根本飛鳥
録音:小牧将人、南川 淳、黄 永昌、川口陽一
編集:冨永圭祐、内藤瑛亮
音楽:有田尚史
サウンドデザイン:浜田洋輔、劉 逸筠
助監督:中村洋介
制作:泉田圭舗、佐野真規、山形哲生

配給:SPACE SHOWER FILMS

公開情報

2020年6月1日(月)よりユーロスペース他にて全国順次公開

公式サイト
http://www.yurusaretakodomotachi.com/

©2020「許された子どもたち」製作委員会

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