
川瀬陽太さん:生まれた時からクズな人間なんていない!
映画『横須賀綺譚』インタビュー
映画『横須賀綺譚』が7月11日(土)より新宿k’sシネマにて公開されます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災から9年の月日が経ち、まるで夢でも見たかのように、私たちはあの日の気持ちを頭の片隅に追いやって生活しています。そんな私たちの一人である主人公の春樹(役:小林竜樹さん)が、被災して死んだと思っていた元恋人・知華子(役:しじみさん)が川島という男と暮らす介護施設を訪れることで、人生が思いもよらぬ方向へ動き出していきます…。
今回は、劇場公開作品としては長編デビューとなる大塚信一監督のもと、一言では表現することが出来ない川島という一人の男を見事に演じた川瀬陽太さんにお話を伺いました!
川瀬陽太が震災で感じたこと
―――― ジーンと余韻が残る素敵な映画でした。
この作品を川瀬さんから俯瞰してお伝えいただくとすれば、どう表現していただけるのでしょうか?
川瀬陽太さん
まず、震災というものが大塚監督の中に大きく存在していて、そこ(震災)で変わってしまった世界と、そうじゃない何でもない毎日を暮らしていた男が、ひょんなことから昔付き合っていた彼女と再会し、あの時あの場所で起きたことを思い起こされて、追体験する話ですよね。
だから、僕はどちらかと言えば人間関係よりは、今も世界は大変な状況ですけど、変わってしまったけれど、それから次の日も、また次の日も生きていかなければならないみたいなこと。それを監督個人がどういう風に映画に落とし込んでいくか考えた時に、この人間関係になったのだろうと思います。
―――― 劇中の「正解ってあるのかな?」という一言が重く残っています。我々が実際に経験した震災の場面を思い返しながら、震災の話でこういうことを皆が引きずっているんだなって感じました。
川瀬陽太さん
僕は当時、東京での撮影期間中でその日はたまたまオフの日でした。東北ではないですが、東京近郊の人も同じに思ったことですよね。怖かったり、実際に身内を亡くされた方もいました。
今(のコロナウイルス)もそうですが、こういうことが起きた時に最悪なんだけど唯一いいことは、人のことを思いやる人がいたりする。世の中酷いことも起きるんだけど、それだけじゃないっていうことをあの震災の時に知ったような気がしたんです。
僕の役はどっちかと言うと、そこで時間が止まっちゃった人の役です。台詞とかでどう表現するかは、こっちでも色々と考えさせて欲しいと監督には伝えました。
生まれた時からクズな人間なんていない!
―――― 震災の過去を引きずっている川島の性格についてお聞きしたいのですが、表面上は意外と清濁併せ吞むような、寛容な男に見えました。
一方で、知華子を自分のものにしたいという欲や、お金に対しての捨て難い欲求が裏側に潜んでいて、とても複雑な感情を持っているように受け取りました。
川瀬陽太さん
僕個人のタイプキャストみたいなところで、わりかしダメな人の役をやることが結構あるんです。そうすると、ご本人はそんな悪気があって言ってはいないですけど感想として「クズの役が凄かったです!」みたいなことを言われることがある。僕は基本的には「ああ、どうも(ありがとうございます)」って感じなんですけど、この川島っていう人間に関しても自分の欲望のままみたいなところもあります。でも、人に対してクズって思ったことはないんです。これは本当にSNSとかで罵り言葉として使われていて、まるで人を投げ捨てるように言えるようになっちゃったってところがあって、そこの温度差が凄いと思うんです。面と向かって会ったらその人そんな人じゃないんですよね。
例えば、本当にクズみたいな悪い人がいたとして、その人が生まれた時からそうだったかっていうと、僕はそうは思わないんです。震災なり何なりの契機でもう二度と取り戻せないものを失っちゃった人が、せめてもということで自分の欲望を何かそういう…。歪んでますよね。歪んではいますけど、自分がその立場にいたらそうなるんじゃないかなって。だから、僕もそういう役が来た時はその人のことに気持ちを馳せるんです。
ある意味で僕はこういう人を演じると、架空なんだけど新しい人間を1人知ることが出来たなっていうか、そういう意味では意義があったし、どういう風に取っていただけるか分からないですけど、中に色々な性格が入っていると仰っていただいたのは嬉しくて、色んなものが入っているのが人間です。
それこそこうやって会話した後に、ムラムラして家に帰ってエロ動画観たいって思ってたり、パチンコ行きたいって思ってたり、お腹空いたって思ってたり、みんなそういうグチャグチャを持ちながら電車にも街にもいるわけじゃないですか。笑っているからって本当に笑っているわけじゃないこともあると思うんです。嫌でも笑わなければいけない時があったり。今、この状況下、満員電車で朝から通勤しなきゃいけない人たちの気持ちを考えたら、それはやっぱり色々あるよなって思うし。
震災の時に覚えているのが、新宿の牛丼チェーン店でご飯を黙々と食べていたんです。食べている最中にグラグラって余震があって、その時に皆ピタッと箸を止めて何となく上を見て、だけど周りを見回すわけじゃなくてそれでまたご飯をモソモソと食べ始めたんですけど、やっぱり同じ出来事と対峙してるんだ、離れているのに繋がっているような感じ。地面が揺れれば当たり前にそうなるんですけど、でもパニックになるでもなく、その余震をただやり過ごしていた瞬間って、ちょっと人のことを気にしてる、考えてる、働いている人を含めて俺は感じてるっていうのがあって。現在のこの出来事もそうなんですけど、こういうことって自分の中で映画に反映してきたし、皆もそうでしょうけど、そういうことで得られた周りの人たちがどう思ってるんだろう?とかっていうのは映画の中に反映したいというのはあります。
―――― 綺麗だったら綺麗一筋でいく登場人物もいますけど、非常に人間味がある。一言でまとめるともったいない、不器用で、それでいて「お前震災の時に何やってんたんだよ」っていうあの一言も、言われる春樹としては一番刺さる言葉です。春樹と知華子に対して、川島がとても重要な役割を果たしているような感じがしました。
川瀬陽太さん
ある種「お前らは何も分かってない」と言いながら、自分も分かってないんです。自分もどうしていいか分からなくて、彼らの存在をある意味でイラついた目で見ていることもあるのかもしれないし。そういうことを考えながら演った感じです。
―――― 麻雀のシーンも仕事をサボって老人と遊んでいるようでもあり、一人一々への優しさみたいなものが段々と見えてきて、川島に対しても色んな感情が湧きました。
川瀬陽太さん
それこそ介護のドキュメンタリーとかあるじゃないですか。そういうところで長く勤務されている方を潜在的に参考にしていたように思います。分かり易い優しさではないですよね。その人その人によって声のかけ方が違うっていうか。それぞれの相手に対して適材適所というか、的確な言葉を持っていて、この人に今「大丈夫」って言ったらダメになってしまうとか、そういうことが分かっているというか。恋愛ものじゃないですけど、今ってハッキリ言わないと分からないって言うんだけど、果たして本当にそうだろうか?、と。そこはだいぶレイヤーの薄い世界になってしまいやしないか?っていうのは思っています。
―――― そうですよね、知華子が出て行こうとする時、本音をさらけ出す部分と、涙を浮かべている様子と、決して善人ぶっているわけでもないですし、非常に複雑な感情が持ち上がっていて、川島の幾つもの顔を見たように思います。
川瀬陽太さん
あのシーンはどうしようって。
脚本にどう書かれていたかは定かではないですけど、大塚監督は新人ですし、本作は純然たるインディペンデント作品で、彼の別に生業があるわけです。実は付き合い自体は古いんですけど、「撮り続けなきゃダメだよ。君がやるなら、僕が参加するなら、映画監督として僕は付き合うわけだから」って。結構やり合ったというか「このシーンはどうなんだ?」って。
要するに今の話みたいに、「これじゃまるで書き割りじゃないか、この人だって幸せを求めていたんじゃないか?」って。勿論、監督もそういうことは盛り込んでたけど、一面的になっている感じがしたので、「ちょっとこうした方がいいんじゃない?」とかっていう風に話し合ったと思います。
大塚信一監督がこだわる「私」と「世界」
―――― 2人だけの物語であれば結構あっさりしちゃうかもしれないですが、そこに川瀬さんの演技があったので2人の縁が結びついているような感じがしました。2人の縁をいつ結びつけるか、その間に震災や川島が入っていたように感じます。
川瀬陽太さん
大塚監督は社会的な事象に敏感な男です。かつては、「9.11」が起こった時に、そのことを絡めた処女作を撮っているんです。だけど、そことは関係ないところに生きている人を描いていて、要するに、テレビでそれが起きてる、世界が大変な事になっている、だけど僕らは平々凡々と生きているみたいな。「私」と「世界」みたいなものに関しては、彼はずっとそのことを考えているようなタイプの人です。
ただ、前作を観た時には、ちょっと言い方が悪いけど背伸びし過ぎちゃった感じがしてたんです。だけど、今回は人間関係をミニマムに抑えた中で、現在の日本の姿が透けるように作る、その点に関して今回は変にキャラクターを増やさず、誠実だったんじゃないかと思っています。
―――― 当然、世の中が変わってきている中で、何が大切なことなのか、毎日の忙しさにかまけて見落としがちなのかもしれません。
川瀬陽太さん
難しいですよね。
ただ、良くないことでもあるんですが、映画を作るためには本当にネタが多くて、やるべきテーマはいっぱいあると思うんです。別にそのまんまやったからってエンターテインメントにはならないんですけど、今回みたいにラブストーリーとして描きながらっていうのは悪い手じゃないな、と。
特にこういう時って、キャラクターとしてこんな事いつまでも続くはずがないっていうことを内包した人間が登場することが、映画を回す上では結構上手いと思うんです。要するに、昔ドリフを見て「志村、後ろ!後ろ!」と言ってた子どもたちの気持ちですよね。志村さんはわざと左に行かなきゃいけないところを右に行くわけじゃないですか。それって映画の中での役者の作業だと思うんです。間違ったことだったり、そっちの方に行かない方がいいのにっていうことも選んで行くこと、それを皆おっかなびっくり観るんです。そこにサスペンスが生まれたりする。
―――― そこにエッセンスを加えているのが、静役の長内美那子さんです。あの一言は本当に演技とは思えませんでした。理由があって過去に囚われてはいるけど、認知症を患っているから今現在には囚われることはないので、言葉に迷いがありません。
川瀬陽太さん
彼女一人だけ時々タイムスリップしてるというか、タイムリープしてるというか、記憶の旅をしているわけです。あそこも過去の日本と震災以降の日本の対比として、大塚監督が表現したかったんだろうって分かるんです。どこまでそれがうまく出来ているか僕自身も分からないですけど、そういうところを観てもらいたいと思います。
―――― あの言葉にはインパクトがあって印象に残ると思うので、きっと監督の想いは観客に届くと思います。
共演者の小林さん、しじみさん、長内さん、それぞれ皆さんの印象はいかがですか?
川瀬陽太さん
メインキャストの三人はお互い物語のイニシアティブを取ろうと“ワッ”とやってるような役だけど、そこからちょっと離れた、俯瞰で見ている長内さんがいらっしゃったので、演る上では凄くお世話になりました。
小林君としじみさんに関しては、両方昔から知っている俳優部です。この作品の後にも、僕絡みでちょっと仕事を頼んだりしたぐらい。だから、演じる上では「しじみちゃんが彼女で、竜樹くんがそうか」っていうところで、大塚監督も考えたのかも分からないですけど、アンサンブルっていうか、芝居がしやすかったというのが正直なところです。
小林竜樹の魅力とは
―――― 小林さんの演技を拝見して「この人演技上手いなぁ!」って、とても自然なんです。
川瀬陽太さん
かと言って、あんま突飛なことをしてるわけじゃないんです。あれが中々出来ないんですよね。
映画の中のナチュラルっていう言葉って結構難しくて。俺なんかもそうだったかもしれないですけど、ついつい若い時は最初に笑いを「はははっ」って入れてみたり、変な間で喋ったり、それをナチュラルだと思ったりするんです。
本来は映画内のリアリティーのある会話じゃないといけないんです。それは演っていて凄く思ったし、そうじゃないと台詞が聞こえてこなくなっちゃう。映画の中に成立している、ちゃんと聞こえてくる台詞、ナチュラルな言葉があって、それは実際に居たら不自然かもしれないけど、竜樹君はその辺はちょうど良いところで落ち着いてやっていると思います。声がいいのと、そういうところで主役らしい立ち位置として。
しじみさんなんかも本当に昔から知ってるんだけど、会った時から達者な人だったから、公開まで2年もかかっちゃいましたけど、こういう形で共演が出来て良かったです。
映画ファンに動画メッセージ!
2020年7月11日(土)より 新宿k`sシネマにてレイトショー
あらすじ・ストーリー
結婚目前だった春樹と知華子は、知華子の父が要介護になったため、別れることとなった。春樹は、知華子との生活と東京 での仕事を天秤にかけ、仕事の方を選んだのだ。それから震災を挟んだ9年後、被災して死んだと思われていた知華子が「生きているかもしれない」との怪情報を得た春樹は 半信半疑のまま、知華子がいるという横須賀へと向かう。
出演キャスト:
小林竜樹、しじみ、川瀬陽太、湯舟すぴか、長屋和彰、烏丸せつこ
監督/脚本:大塚信一
撮影/照明:飯岡聖英 メイク :大貫 茉央
録音/整音:小林徹哉 美術応援:広瀬寛己
監督補 :上田慎一郎 宣伝美術:西垂水敦
助監督:小関裕次郎、植田浩行 制作 :吉田 幸之助
2019年/日本/86分/カラー/ビスタ/ステレオ/DCP
公式ホームページ:https://www.yokosukakitan.com/
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