芋生悠さん「今だから観て欲しい作品」外山文治監督「一生に寄り添えるような作品」映画『ソワレ』インタビュー

芋生悠さん「今だから観て欲しい作品」
外山文治監督「一生に寄り添えるような作品」
映画『ソワレ』インタビュー
8月28日(金)より全国公開される映画『ソワレ』で主人公のタカラ役を演じた芋生悠(いもう・はるか)さんと外山文治監督にお話を伺いました。
本作は、俳優を目指して上京するも結果が出ず、オレオレ詐欺に加担して食い扶持を稼いでいる村上虹郎さん演じる翔太が、故郷・和歌山の海辺にある高齢者施設で演劇を教えることになり、そこで働くタカラと出会うことから始まります。ある日、タカラは刑務所帰りの父親から激しい暴行を受け、その姿を偶然にも目撃した翔太は咄嗟に止めに入ります。しかし、タカラの手は血に染まり、タカラは翔太とともに逃避行することに…。
長編デビュー作「燦燦―さんさん―」が海外で絶賛された外山監督が疾走感たっぷりに映し出す111分は、タカラと翔太から一瞬たりとも目が離せない、どこまでも苦しく、しかしほんの小さな希望を感じることが出来る力強い作品です。
自らを役に没頭するタイプだと語る芋生さんがどのような想いで本作に挑んだのか、そして監督は撮影現場で何を感じていたのか、お二人に映画『ソワレ』を存分に語っていただきました!

タカラ役の芋生悠(いもう・はるか)さん
―――― 外山監督、本作の制作に至ったきっかけをお聞かせいただけますか?
外山文治監督
2015年頃に高齢者の駆け落ち物語を考えていたんです。
それは、高齢者施設から逃げ出す男女が最後に生きる意味を探すという構想で、その時は映像化することはありませんでした。
今回「和歌山で映画を撮らないか?」と言われた時に御坊・日高エリアを歩いたのですが、紀州道成寺は安珍・清姫伝説の舞台であることもあり、男女のロードムービーがいいのではないかと。
2015年は高齢化社会の問題がとっても色濃いものでしたが、2020年になると若者の閉塞感みたいなものを強く感じるというか、生きる意味を考えます。当時、考えていた高齢者を若い男女に置き換えても十分成立すると思ったので、若い男女のロードムービーになりました。

外山文治監督
―――― 芋生さんは100人を超えるオーディションから見事に選ばれたということですが、どのような意気込みで本作に挑まれたのでしょうか?
芋生悠さん
最初のオーディションの段階では全ての内容は知らなかったんですが、2次オーディションの段階で台本をいただいて読んだ時に“自分が(この役を)やりたい”と思いました。
2次は村上さんも相手役として来られていて、お互いに初めましてだったのですが、一緒にお芝居をした時に凄く楽しくて(笑)。“嘘をつかないようにしたい”という感情をお互いが感じているような時間があったんです。オーディションから帰る時に、受かるかどうかよりもスゴイ楽しかったなぁと思いながら帰って、村上さんとだったらやれる!と思ったんです。
その後「受かりました」とお話をいただいてからは、私は相当役に没頭してしまうタイプなので、タカラ役をやるに当たっては自分とのバランスが決め手になるだろうなって。つまり、タカラになってしまうのか、それともタカラと一緒に歩むのかを決めなくてはいけないと思い、そのために沢山脚本を読みました。
脚本の中ではどうしようもない部分もあるんですけど、タカラと一緒に歩んで、タカラを私が全力で支えるというか、私だけでもいいから愛してあげるぐらいの気持ちでやれたら、ひょっとするとこの脚本を飛び越えて希望を得られるかもしれないと思って、一緒に歩む方を選んで挑みました。
―――― 凄く難しい役だったと思います。お話をさらに伺っていく前に、もう少し村上さんと対峙した時に感じた“嘘がないようにしたい”の意味を教えてください。
芋生悠さん
村上さんと対面した時に目が凄く印象的でした。絶対に嘘をつけない目をしてるというか、透き通っていて無垢で、それでいてちょっと怖さもあるし、純粋過ぎて怖いというか。だから、目を見た時にその目に対して絶対に嘘をついてはいけないと感じて。
台詞は長くはなかったんですけど、ちゃんと自分が思った言葉しか言いたくないなっていう気持ちでした。
―――― 監督から見ていかがですか?どんなところが芋生さんを選んだ一番のポイントだったのしょうか?
外山文治監督
自分はオーディションを終えて「芋生さんがイイ」って言い続けたんです。芋生さんじゃないと困るなって思っていました。
タカラはこういう人だっていう自分なりのイメージがあったんです。デリケートな問題を沢山抱えていますけど、そこから蘇っていくお話、生きていく一人の女性の強さのお話でもあるので、可憐なだけでもダメだし、儚いだけでもダメだし、それらを持ちつつも生きていく強さみたいなものがどうしても欲しかったので、芋生さんがイイというよりも、芋生さんじゃないと困るなって。
オーディションの後も映画をどういう方向に持って行こうかと会議が沢山行われるわけなんですけど、そこだけは譲らずにおりました。
―――― 先ほど、タカラに寄り添っていくという気持ちで役に挑んだとお聞きしました。
タカラは、自身のほんの小さな心の機微に気づいて、失っていたはずの自分に改めて辿り着くのだと思うのですが、一連のストーリーでこれらの心情を表現していくことは相当難しかったのではないでしょうか?
芋生悠さん
タカラは他人からは全く答えを貰えていないし、自分でも分かっていません。それでいて幼少期から別に見なくてもいいものを見てしまっていて、凄く汚れたものを見ている。なのに、諦めてもいるかもしれないんですけど、でも、絶対に守り続けている綺麗なものというか、小さいかもしれないけど光みたいなものを持ち続けているのが本当に凄いなって。私がもしタカラだったらどうだろう?と思った時に、生きている意味ないんじゃない?って思うぐらいなんですけど、絶対に守り続けているものがあるのは本当に強いなって思って。
ただ、強いかも知れないけど、知らぬ間に心も体も絶対ボロボロになっていて、そこに私は寄り添って、一番近くで絶対に壊れないようにしてあげたいなって思っていたんです。本当に苦しいシーンもあったりするけど、小さい光みたいなものは絶対に持ち続けたままで居たいなって思ってやっていました。
―――― 演技をしながらタカラを守るような感覚があったのですね。
監督にお聞きしたいんですけど、安珍・清姫伝説における愛憎がモチーフになりつつも、このストーリーではどちらかと言うと愛情を手放す形も描かれているように思います。同じ愛の形でも、こういう風にストーリーを創りあげたていった背景にはどのような発想があったのでしょうか?
外山文治監督
安珍・清姫は有名な悲恋の恨み節の話なんです。裏切られた女性の愛憎を描いているんですけど、実際に安珍・清姫って色んな結末があるというか諸説があるので、諸説あるのであれば自分なりの解釈というか、新説のようなものが出来たら作家としては嬉しいなと思っていたんです。
伝説では清姫が安珍を60~70kmも裸足で追いかけていったお話なんですけど、追いかけていた間に彼女がずっと恨んでいたのかというと自分はそうじゃないような気がして、そこまで想いを寄せる、恋焦がれるような人と出会えたことは幸せなことで、そういう人と巡り会えた喜びみたいなことを重ねたいと思ったところが一つあります。
タカラは手放すということもあるんですけれども、手放しただけではない何か、お互いに新しい価値観が生まれたんだと思うんです。それはやっぱりタカラが「意味のないことは起こらない」と自分の過去を肯定したという、あの歳でよくもそこまで達したなという、作り手としては痛々しい、涙ぐましいところに行ったと思うんですけども、そこまで達することが出来たから旅を終えることが出来たように書きました。書きながら、自分もそれを観客のような気持ちで見守っていました。
―――― もう一つ、翔太が言った「傷つくために生まれてきたんとちゃうやん」っていうあの言葉も物語の一つの柱になっているような気がしました。
あの言葉によって逃避行が始まるわけですが、あの場面でこんな言葉を聞いたら、一瞬にして磁石のように2人が一つになっていくのかなと思ったのですが、どういうお気持ちだったのですか?
芋生悠さん
翔太が抱えているものと私が抱えているものって、もしかしたら全然違うのかもしれないなって。見ているものが違うというか…。でも、その言葉に突き動かされたというよりも、きっとあの時は、私は翔太の目とかちょっと歪んだ顔とか、あの顔に突き動かされたのかなと思います。
―――― 背負ってきた人生が出るということですね。
芋生悠さん
そうですね。皆経験とか別々かもしれないけど、感じていることが一緒だったり、同じもどかしさとか悲しみとかを持っていたから、そうやって磁石のように一緒になったのかなと思います。
―――― 砂浜で「私の気持ちを分かって欲しい」というシーンがありました。それも恋愛の過程として、心を通じ合わせる上での必然だったような気がします、その場で出てきた言葉なのかな?とも思ったのですが、全体を通じてアドリブで思わず出てしまったような言葉などはありましたか?
芋生悠さん
一緒に逃げ出してからは凄く苦しくもあって、自分の実体験かのようにトラウマになってしまっている部分もあったりとかして…。
外山文治監督
スミマセン。
芋生悠さん
(笑)
苦しい部分もあるけど、一緒に逃げている時間が凄く幸せで。だから、勝手に笑っている時もあったし、今まで出したことのない怒りとか、悲しさとか。しかも、人にはぶつけたことがなかったのに翔太にはぶつけてしまったり。それも初めてだったので、その時間は凄く幸せだったなって思います。
―――― 言葉や台詞が全部決まっていても、演技そのものはアドリブというか芋生さんから出てくるんですものね。
そして、幻で翔太と会った時のシーンが幻想的でとっても美しかったです。あの水面のシーンについては、監督としても良い感触があったのではないでしょうか?
外山文治監督
あのシーンは説明があまりないので、受け止め方は自由です。
タカラは心の内界と外界を自由に出入りすることで、苦しい人生を一人で乗り越えて来たんだという、映画のクライマックスのひとつですが、美しいシーンになったと思います。緊張感のあるシーンでもありますし、あのシーンの説明はないんですけど、説明もいらないなと思って。
どういう意味ですか?と聞かれることもありますけど、お客さんを信じて観念的で抽象的なものをそのまま出しました。いいシーンになったと思います。
さっきのアドリブの話じゃないですけど、(芋生さんが)「あんまり覚えてない」って言うんです。「ああいう感じだったよね?」みたいなことを話しても、「あんまり覚えていません…」みたいなことを。
芋生悠さん
シーンを撮影した直後に「あんな表情してたよね?」みたいなことを言われて「えっ、そうでしたっけ?」みたいな(笑)
外山文治監督
あまりアドリブを入れ込むような作為が入らない、本当に2人の世界というか、役の世界だろうと思うんです。(芋生さんが)“嘘をつけない”と仰ったことも「こうしてみようか?」みたいなプランが通用しない作品と虹郎君だったりもするので。
話を戻しますとあの幻想的なシーンがあるからこそ「ソワレ」ですし。あれがあるからこそ悲しいし、あれがあって救われている。
―――― なるほどぉーー、納得です。
真面目なお話が続きましたが、ちなみに芋生さんは走りが相当速いですよね?
芋生悠さん
(笑)
外山文治監督
多分、芸能界一速いと思います(笑)
―――― オーディションでは走ってもらってないですか??
外山文治監督
(オーディションでは)走ってないですけど、走る姿は格好良かったですね。
芋生悠さん
(爆笑)
外山文治監督
2人の疾走をお客さんが持ち帰ってくれたらいいなと思うんです。“走り抜いたなぁ、この映画”って。彼女自身も走り抜いたし、映画も走ってくれたし。
芋生悠さん
学生時代に駅伝部に入っていて、フォームの練習をずっとやっていたので。映像をモニターで見て、自分でもフォームが綺麗過ぎるかもしれないなって。
アスリートやん!みたいな(笑)
しかも、脹脛(ふくらはぎ)とかちゃんとし過ぎだろう!みたいな(笑)
―――― 軸が全くブレていないですし、走っている時は翔太には全く目がいかず、タカラだけずっと見てしまいました(笑)
芋生悠さん
(笑)
外山文治監督
良い身体表現だなって。解放されたがっていたんだなって。鬱屈とした世界から抜け出た時のあの感じを走ることで表現してくれたというか。我々も走るシーンを上手に印象深く撮りたいと思っていましたし、でもまさかあんなに良いフォームで走るとは(笑)
―――― 安珍・清姫の話で60キロ追いかけた話ともちょうど被りますね(笑)。
ところで、芋生さんから見た監督ってどういう方に見えたのですか?
外山文治監督
(笑)
芋生悠さん
監督は翔太とタカラのどちらも多分持ち合わせている。特に翔太かもしれないですけど、感情移入をして現場に居てくれてました。監督の思っているものが絶対に正しいだろうなと思えたからこそ、そこに信頼を置いていました。そんなに演出を細かくしていただくわけではなかったんですけど、信頼をして、後は村上さんと芝居に入った時にちゃんと向き合ってお互いに嘘をつかずに芝居をするだけで大丈夫だと思って演じました。
―――― こういう方向性でいくんだ、といったことは監督から感じましたか?
芋生悠さん
とにかく私をタカラだと思ってくれているというか、絶対的にこの映画のヒロインとして見てくれたことが私は嬉しかったですし、だからこそ現場中ずっとタカラで居ることが出来ました。
―――― お二人が観ていてお好きなシーン、是非注目して欲しいシーンを教えてください。
外山文治監督
自分で創っているので、全部好きなシーンです。カット1から好きなんですけど、やっぱり魅力は翔太とタカラの2人そのものだと思うんです。
和歌山の綺麗な景色の中で旅を続ける2人が見所ですし、それが全てと言ってもいい映画だと思うんです。自分が演出する上でも2人を信頼していたし、自分が道案内さえ間違えなければ2人はやってくれる。台本を読んで2人なりの解釈が正解だろうと思いますし、そんないいキャストとの出会いでしたって、変にまとめようとしていますけど(笑)
芋生悠さん
どこのシーンというよりも外山監督やスタッフ陣が私たちを追いかけてくれていた感覚だったので、全部ひとまとめになっちゃうんです。始まったらずっと止まっていないので。
―――― なるほど。外山監督やスタッフという器があって自分たちを必ず受け止めてもらえる、そういう気持ちを感じながら思い切って走り抜けていかれたのですね。
最後に、映画ファンへのメッセージをお願いします。
外山文治監督
昔はこういう作家性の強い作品はよくあったのですが、今どき珍しいタイプの映画かもしれません。減ってきている中で、新しい時代にもう一度そういった作品が出来たことを個人的には嬉しく思います。
万人受けしなくても観たその人に届けばいいという想いでやっています。その人の一生に寄り添えるような作品になるように本当に命がけで撮りましたので、是非、観ていただけたらと思います。
芋生悠さん
今、なかなか劇場で映画に触れる機会がないかもしれないんですけど、今だから観て欲しい作品になっています。撮影当時は感じていなかったけど、今のためにあったと言っていいぐらいの作品だと思います。
よく分からない・形にならない怒りやもどかしさを皆が感じているはずで、そういった中で自分のことを傷つけてしまったり、苛立ちを人に向けて誰かを傷つけてしまったりするかもしれないけど、この映画を観たらちょっとだけ自分のことも好きになれると思うし、大切な人の顔が沢山浮かぶと思っています。
もっと根本的に人同士の想い合いというか“人を想うことが大切だよね”みたいな。社会の縮図というか社会的なことも描いているかもしれないけど、もっと根本的な“人って?”みたいなことをちょっと考えながら、お家に帰れる作品になっているんじゃないかと思います。
本当に何度も何度も同じような景色を見て、“いつになったら終わるんだろう?”って思っている人に観に来てもらって、“もう少し、明日まで信じて頑張ってみるか!”みたいな“何か起こるかもしれないし”“いい兆しが見えてくるかもしれないし”って、ちょっとだけ頑張れるようになってもらえればいいなって思っています。
―――― ありがとうございました!
キャスト
村上虹郎 芋生 悠
岡部たかし 康 すおん 塚原大助 花王おさむ 田川可奈美
江口のりこ 石橋けい 山本浩司
監督・脚本
外山文治
配給・宣伝
東京テアトル
制作プロダクション:新世界合同会社 制作協力:キリシマ1945
製作:新世界、ベンチャーバンクエンターテインメント、東京テアトル、ハピネット、ステラワークス、カラーバード
後援:和歌山県、(公社)和歌山県観光連盟 協力:御坊日高映画プロジェクト、和歌山市
2020年/日本/111分/5.1ch/シネスコ/カラー/デジタル/PG12+
(C) 2020ソワレフィルムパートナーズ
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