『風の電話』WEBティーチイン&プレゼント企画開催中!諏訪監督に聞いてみよう!

第70回ベルリン国際映画祭~ジェネレーション部門~出品決定!
映画『風の電話』
大ヒット上映中
あらすじ・ストーリー
あの丘にある<風の電話>へ、天国に繋がるただ一つの電話へ、今日もまた人々が訪れる。
一人の少女が幼い頃に家族を津波で失い、心を閉ざす。岩手県大槌町出身のハルは、預けられた広島県の伯母宅からふるさとを目指して旅を始め、風の電話にたどり着く――。
監督と語ろう
映画ログプラスでは、公開前に行われた『風の電話』『恋恋豆花』クロストークイベントを取材。
今回さらに本作を深く楽しんでいただくため、また、舞台挨拶がまわれない全国のファンに制作者の想いを届けるために、諏訪敦彦監督に観客の皆さんの感想を届けたり、質問をしていただくWEBティーチインをスタートいたします!
ご質問・ご感想の受付期間は、1/27(月)~2/7(金)となります!
※諏訪監督が必ず回答することを約束するものではありませんが、応援コメントや作品に対する質問・感想を自由に書き込んでください!
プレゼントキャンペーン開催!
直筆サイン入りパンフレット
3名様に当たる!
モトーラ世理奈さん&諏訪敦彦監督の直筆サイン入りパンフレットをプレゼント!
【キャンペーン期間】
1/27(月) ~ 2/7(金) ※WEBティーチイン開催期間と同じ
【応募方法】
手順①:こちらのページのコメント欄に、映画『風の電話』に対する質問・感想を投稿。
手順②:”m-gift@sobal.co.jp”宛てに、タイトル:「風の電話プレゼント”投稿時のニックネーム”」をご記載の上、メールをして応募完了です!
※当選者には編集部から当選のご連絡をさせていただきます。その際、プレゼント発送先のご住所等個人情報をお預かりさせていただきます。
©2020「風の電話」製作委員会
配給:ブロードメディア・スタジオ
とても暖かい気持ちになりました。
辛い体験をした少女と、彼女を見守り世話してくれる叔母さん。
町の人は温かく見守るけれど、「よそ者感」は拭えない。
津波ですべてを失った彼女が、再び西日本豪雨を経験して、
どれだけ怖かっただろう辛かっただろう、気持ちは計り知れない。
これ以上傷つかないように感情を抑えて生きていて
辛いことばかりが重なって。
道すがらに出会う、つらい経験を乗り越えてきた人々の優しさに触れ、少しずつ自分を客観視できるようになり、
やっと津波を受け入れられるようになった。
感情が爆発する時の演技は、心に響くものがありました。
辛い経験をした人だからこそ、ハルの気持ちがわかるし、ハルにその気持ちが伝わる。
1人1人のストーリーが濃くて素敵で、1人1人のことをもっと知りたくなりました。
震災ものだけれど、震災そのものというよりは、
誰もの心にある孤独感や傷に寄り添うような、共感しやすい作品でした。
インプロだからこその、演技だけれど自分本当感情としてが訴えかけてくる強さに圧倒されました。
不安定さを掻き立てるカメラワークも、少し酔いましたが効果的でした。
自作、期待しています。
時々突き刺さるような、またあたたかく抱かれるような気持ちで観賞させていただきました、ありがとうございます私は震災ではないのですが主人を東北で亡くし、一瞬にして奪われるという苦しみを味わいました、その後まさかまだこんな風に傷付くなんてと、自分の知らない抑圧した感情に出会うこともあり、そんな自分を度々映画が救ってくれました、この風の電話のモトーラさんの演技も同じで大きな救いでしたし、周りの人が癒えることない傷に彼女のまま変えようとせず見守り声をかけるのが素晴らしく、彼女に自分を重ねいろんな世界を肩越しに見たような気持ちでした。
この映画で役者さんが言葉を失ったり、意図していたのと違う方向に物語が進んだり、もしかしたら期待した着地点と違うものが生まれたりしたかもしれません。
作品を完成させる道程それこそが人生のように思うし、観た人が自分の中で自分自身の映画を完成させる、そこには不恰好で欠点だらけのそのまま自分がいる、それで良かったんだなと不思議と思いました、
予測のつかない部分とそこで起こる化学反応、監督としての映画を導く力、などバランスをとっているのですか?
それともその場その場の変化にその都度必要な対応されるのですか?気になりました。
劇中、西田敏行さん演じる今田が語る『警察日記』について、非常に関心を持ったため、観賞後DVDソフトを購入して鑑賞しました。会津磐梯山の麓に広がる農村の原風景を。今田が切々と訴えていた、失ったものの姿を、確認することが出来ました。しかし、それは風景だけではなく、そこに生きる、太平洋戦争後すぐのの人々の、切実な日々の暮らしと人情、といえるものの姿でもあったかと思います。
そこで、監督、あるいは制作初期から関わられた方々にお尋ねしたいのですが、映画の企画段階で『警察日記』を何らかの参考にされたのか、ということについてお聞かせください。もし、参考となるものではなかったとしても、『警察日記』と『風の電話』についての繋がり・関係性について、どのように考えておられたのか、お聞かせいただけましたら幸いです。
公開初日の新宿ピカデリーの初回と、ユナイテッド・シネマ豊洲の最終回に鑑賞してきました。大変、心を動かされました。
後悔と生きづらさ、それらを補うように出逢う人々から受ける優しさ。2011年の東日本大震災を起点としながら、それだけに留まらない苦しみと哀しみ、切実な旅の物語であったと認識しました。
日本の多くの映画制作者の皆さんが、震災後の映画をつくり、公開され、その何作品かを観てきました。そのなかでも本作は、特に当事者でないと考えられてきた人々の、個人的な問題や不安に繋がり得る、可能性をひめた作品のようにも感じられました。
人は亡くなってしまうと、年数を経る事に、偲ぶことも語られることも少なくなってしまいます。この映画をきっかけに、少しでも、なくなられた方々の面影を思いだし、思い出したひとたちの哀しみを和らげ、励ますことに繋がれば。今をいきることの助けになれば。誰かに優しくしようとする気持ちを後押しすることに繋がれば。私がそう感じたように、この映画が誰かの励みになれば良いなと、そう思えた映画でした。
年代が近いこともありますが。春香のような子供の力にならなければならない大人。この国の40~50代の大人が、逆にいま、励ましを必要としているようにも思います。劇中の森尾のような、哀しみを負った、真面目でまともな大人が力を失わないよう、身近なところから「大丈夫」だよと励まし、支えあっていかなければ為らないと、深く諭された気がします。
叶うなら、もう何度か映画館で、他の見知らぬお客さんと、この映画を鑑賞し、共有できたらなとおもいます。上映やソフト化の機会を通じて、この作品の優しさと祈りが、多くの人々が届くことを願っています。
風の電話、観終わった後の帰り道、ずっと余韻に浸っていました。モトーラ世理奈さんは少女邂逅を観た時に凄い人が出てきたと思いましたが、今回は素晴らしい俳優に皆さんのおかげで更にそのポテンシャルを引き出されたように感じました。普段の彼女と役に入った時の落差というか、ピュアさをもったまま役に入り込んで台詞ではなく感情や表情、仕草などでそれを表現できるのが凄いと思いました。印象に残ったのはやはり最後の電話のシーン。話しながら彼女の中で何かが変わっていくのがスクリーン越しに伝わってきました。素晴らしい映画をありがとうございました。また観にいきたいと思います。
映画の中で西田さんが福島を語った言葉に同郷の人間として共感するものがありました。主演のモトーラさんも素晴らしかったです。セリフとセリフの間の沈黙にハルのどのような思いがあるのか、考え込んでしまうような深みを感じました。
終盤にハルが故郷に帰って友達のお母さんに再会する場面がありますが、やっと知り合いに会えたんだー良かったね、なんて呑気に思っていましたが、「高校三年生」を繰り返すことに真実を知り愕然としました。こういうことなんですね。
3.11の10日後位にテレビの取材に答える40歳位のお父さん、瓦礫の中何か探しています。家族の写真とか思い出の品かな、とテレビの人も私もそう思いました。「何を探しているんですか?」「息子です」に絶句しました。思い出しました。
昔々、家出をして自分のルーツを辿る旅をした事があります。微かな記憶を頼りに向かったのは福島県いわき市。私は誰とも出会わずひとりで海を眺めるだけで帰ることになりましたが、風の電話で確かなあてもなく家族と居た場所に戻ろうとするハルを観ながら、当時のことを思い出して涙してしまいました。被災地となったかつての旅の目的地を私は意図的に再訪していないのですが、確かめに行ってもいいかなぁと考えさせてくれた映画でした。
ところで映画の中で、森尾の家を訪ねるシーンからの強く吹く風が印象的でした。雨戸と窓を開けた後に翻るカーテンの美しさにハッとしました。風の電話でハルの髪を乱す風もありましたが、あれらも偶然のものだったのでしょうか。
森尾は当り前のように被災した自宅に土足で入ってゆくけど、ハルは玄関から先に進めない…シーンを見て。他の場所で見る森尾は穏やかに落ち着いた様子に思えたけど、その心の中は、今も非常事態が続いていて、自宅に帰る度に大事なものを踏みつけざるをえないことに傷ついている…それを自分でも意識できなくなるほど長い時間が経過している…、だけど、ハルの様子を見て、何か心動くものがあったのではないだろうか…と感じました。土足で室内に入るだけではなく、布団までも踏みつける設定だったのは、何かを強調される意図だったのでしょうか。見ていて、とてもひりひりしました。
クロストークイベントに参加しました。記事をあげて下さってありがとうございます!
ハルを通して、そこに生きる人達と交わりながら、今もどこかで存在しているかのような切り取り方、フィクションであるけれど、ドキュメンタリーのようにも見えるし、ハルが出会った人達は、わたし自身もいつかどこかで出会うのではないかと、そう思わせてくれる作品でした。出会ったばかりのハルに、ご飯食べなよって、手を差し伸べてくれる優しさが、大丈夫だよっていう言葉が、そっと優しく包んでくれて温かくなった。
風の電話のあの場所は、花が咲き、光が降り注ぎ、優しい風が吹き、命を感じる場所のように感じました。
あの降り注いでいた光は、偶然撮れたものなのでしょうか??
モトちゃん代表作になる素晴らしい作品をありがとうございました!!うまく言葉に出来ないけれど、今もあの場所でハルと同じように救われている人達が沢山いるのかなって、電話の存在をしらなかったわたしは、この作品をみて、知れて良かったです。
「風の電話」を初めて観た時、茫然としました。ハルの姿が、何年か前の自分の姿と重なったからです。映画の冒頭でハルが一見無感情に見えるのも、突然感情が爆発するのも分かる気がしました。
自分も数年前に辛い別離を経験し、旅をしました。旅先で色々な人と出会って様々な経験をして、食事をする事や食事を作ってくれる人がいる有難さを思い出しました。そんな自分の思いが画面の中のハルと重なり、まるで過去の自分が旅をしている様な錯覚を覚えたのです。人と出会い、食事をし、別れて行く……人生はこの繰り返しだと思います、
今の世の中、万人に分かり易いものばかりが支持される傾向にあると思っています。皆時間が無いのか、直ぐに判断出来る方が便利だと思っているかのような気忙しさ。でも現実は、分かり辛いし物事もサクサク進まない。何より人間の心は複雑で、今日は大丈夫だと思っても明日になれば落ち込み、もう駄目だと思っても立ち上がれる。
「風の電話」はそういった揺らぎの表現が素晴らしく、それでいて最後は希望が見えます。その希望も儚いものかもしれないけれど、それでも確かに希望はあるのだと信じられるのです。これから先、生きて行くのが辛いと思う時も有ると思います。でも自分は「風の電話」という素晴らしい映画に出敢えました。この映画が、辛い時に心を照らす灯となってくれると思っています。諏訪監督、素晴らしい映画を届けて下さった事に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
チモシーさん、美しい言葉をありがとうございます。ご自身の経験によってこの映画が一層切実なものとなったのですね。先日、私のfacebookにこんな書き込みをしました。少し長くなりますが引用します。
「むかし、ある人がおもしろいことを言いました。「映画にはふたつの種類がある」と言うのです。ひとつは「レンガでできた映画」で、もうひとつは「岩でできた映画」なのだそうです。どういうことでしょう?
いま、あなたの目の前に、川が流れているとしましょう。あなたは、その川を渡って向こう側に行ってみたい。でも川は広くて、流れは早いし、歩いては渡れそうにもない。どうしたらいいでしょう? 大人ならそこに橋をかけることができますね。むこう岸までの距離を計り、橋を設計して、たくさんの人や機械で図面通りに工事をして橋を造れば、たくさんの人がその川を渡ることができるでしょう。
昔は、大きな建物や橋もレンガを積み上げて造りました。レンガというのはみな同じ四角い形をしていて、片手で持てるような大きさですね。でもそれを、ひとつずつ積み上げていけば、がんじょうな橋だって造れる。もちろん、でたらめに積み上げても橋はできません。計画した橋の形になるように、図面を見ながら積んでゆくのです。
実は、多くの映画もそんなふうにつくられているのです。まずお話を考え、必要なものをそろえ、計画にもとづいて、ひとつずつレンガを積むように、カメラで映画の部品(レンガ)を撮影してゆくのです。そのバラバラな部品を編集で積み上げると映画になるというわけです。
では「岩でできた映画」とは何でしょう?
あなたの目の前の川をよく見ると、川の流れの中に、いくつかの大きな岩がゴロゴロと転がっていて、水面から顔を出している。きっと何百年もかかって転がってきたのでしょう。その岩は、ごつごつしていて、レンガのようにキチンとあつかいやすいような形はしていません。当たり前ですね、その岩は自然のものですから、ひとつひとつ違う形をしていますし、人のためにそこに転がっているわけではありません。重いし、簡単には動かせない。でも、川を渡りたいと思った人が、思い切ってその岩をぴょんぴょんと飛び越えて、川を渡りきったとしたらどうでしょう。きっと岩はとんがっていたり、でこぼこだったりして、あなたは足を滑らせるかもしれない。岩と岩の距離もさまざまで、あなたのジャンプ力で岩に着地できるかどうかわからない。でも、勇気を出して飛んでみる。着地成功。そしてまた次の岩を見つけてジャンプ……。すると、向こう岸に渡ることができた。そのとき、その自然の岩たちはあなたがジャンプした一瞬だけ、あなたの「橋」になったのです。
実は今回、みんなは「岩でできた映画」をつくったのです」
この文章は数年前に「こども映画教室」で、小学生たちの即興的な映画作りに立ち会った時、彼らの作品が素晴らしくて、それを伝えるために書いた文章です。
「本当は「レンガでできた映画」のほうが、かっこいいと思う人もいるかもしれませんね。レンガの映画はたくさんお金もかかっているし、CGやきれいな衣装や、宇宙船や、夢のような出来事であふれています。でも、レンガの映画をつくる大人たちには、とても岩の映画をつくることはできません。勇気がないのです。「石橋を叩いて渡る」ということわざがあります。レンガの映画の大人たちは冒険するのが怖いのです。レンガの映画はたくさんあるんですけど、岩の映画というのはほんの少ししかありません。とても貴重です。それはただの岩ではなくて、まるでダイヤモンドのような貴重な映画なのです」
「岩の映画」「レンガの映画」という美しい比喩を書いたのはフランスの映画評論家アンドレ・バザンです。「ロッセリーニの擁護のために」というエッセイに出てきます。ありのままの現実に対する愛情によって、バラバラになった世界を、もう一度ひとつの塊として捉えようとするこのイタリアの映画監督の精神を擁護しようとしました。
実は私もこの「岩の映画」を目指してずっと映画を作ってきたのではないかと思います。「風の電話」はよくできた美しいプロポーションを持った橋=映画ではありません。ゴツゴツした岩をひとつひとつジャンプしながら向こう岸まで渡ろうとした映画なのだと思います。その岩は自然がもたらしたものであり、私たちに都合の良いように配置されているわけではありません。だから私たちの映画にはよく考えられた流麗な構成も、作劇の技術も、精密な心理描写もなく、私たちはただフラフラ、ヨロヨロ、川に落ちそうになりながらエイッとひとつひとつの岩を勇気を出してジャンプしてゆきました。
だから「風の電話」は橋には見えないでしょう。何しろただの岩なのですから。だからただ眺めていてもそれは岩のままです。でも、この映画を見た人が私たちと一緒にその岩をひとつひとつジャンプしてゆく時、それはその瞬間、私たちの橋=映画になるのだと思っています」
チモシーさんは、ご自身の人生の経験とともに、ハルや私たちと一緒に岩をジャンプして川を渡ってくださったのだと思います。ありがとうございます。これからまた辛いことがあったときに、あるいは温かい気持ちになったときに、ふとこの映画のことを思い出していただけたら、映画を作るものとしてそれ以上の喜びはありません。
長文になってしまってすみません。
諏訪監督のお言葉が嬉しくて、何度も何度も読み返しました。
本当にありがとうございます。
こんにちは。広島出身のヒロです。ヒロとハルでヒロハルなんてコンビ名にしたら面白いですね。映画は、ひとことで言えばとても良かったです。1番印象に残ったシーンは、大槌でハルとハルの友達のお母さんが再会するシーンでした。調布の舞台挨拶ありの回に観に行ったのですが、モトーラさんの間というか沈黙は、ある意味テレビやトークショー向きではないと思いましたが、私は映画のハルに正直感動しましたし、モトーラさんはとても心が綺麗な人だなと感じました。これからもその個性を大切にして、素敵な女優さん、素敵なモデルさんのままでいてもらいたいですね。
風の電話、現在の日本に暮らす様々なひとの傷を静かに見据え、それでも生きていく力を信じるとても良い映画でした。
これまで三度観たのですが、その都度発見や考えるべきポイントが出てきて興味が尽きません。
今特に気になっているのは、ハルが森尾との別れ際に”春香”という自分の名前を告げたことです。
これまで仮名=ハルを名乗り、呼ばれていた女の子があそこで真名=春香を名乗ることには、特別な意味があるように思いました。
なぜ、大槌の家の跡を訪れた後・風の電話に向かう前というあのタイミングで、森尾を相手にして、ハルは春香と名乗ったのでしょうか?
最後になりましたが、諏訪監督・俳優の皆さん・スタッフの皆さんに感謝したいと思います。素晴らしい作品を届けて頂き、本当にありがとうございました!
インタビュー記事やパンフレットで語られている、俳優さんたちと諏訪監督の協働作業について大変興味深く感じております。
一方で、スタッフさんたちと諏訪監督が今作にどのように取り組まれたのかについても興味があります。俳優さんたちが即興で演技に取り組むのにあたり、監督が、普通の(?)映画制作に比べて特にスタッフ側へのディレクションで気を配っていたポイントなどありましたら教えて下さい。また前作までのフランスと、日本での制作現場の環境や慣習の違いによる、監督の映画の性質・方向性への影響はありましたでしょうか?
昨日鑑賞してきました。痛々しいくらい深い心の傷を負ったハルに優しく寄り添うような映像と登場人物。俳優の皆さんの佇まいすべてがフィクションなのにノンフィクションドキュメントであるような不思議な感覚を覚えながらも震災が今も多くの人にとって地続きの災害であることを改めて思い知らされた思いでした。
ハルが土台だけになってしまった大槌の自宅に「ただいま」と泣きながら叫ぶシーン。跡形もない自宅の遠方背景には建物が建っている区画が映っているところがすごく印象に残りました。三浦友和さん演じる公平が「運だよ」と言っていたことを如実に物語るシーンだと感じました。あのロケーションはそういった意図があったのでしょうか?
森尾がハルと別れる際に発した「大丈夫、大丈夫」というセリフ。短いセリフながら自身も悲しみを抱えつつ、ハルを勇気づけようとする森尾の心情が滲み出たトーンで西島さんの演技の素晴らしさにグッときました。